※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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嘉永3年(1850) | - | ○米国議会、「東洋への発展と日本の開国を試むべし」と決議 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] |
嘉永4年(1851) | 8月 | 島津斉彬、鹿児島に製煉所を設け、化学応用の諸器の製作と蒸気機関の試作を開始 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] |
10月 | 鹿児島にて西洋型帆船「以呂波丸」(3本マスト)起工 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
嘉永5年(1852) | 2月7日 | 徳川慶篤、「大日本史」を朝廷および幕府へ献上 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] |
6月24日 | 露船、下田に来航 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
嘉永6年(1853) | - | 【渋沢栄一】家業の畑作、養蚕、藍葉の買入、藍玉製造販売に精励。〔13歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月29日 | 薩摩藩、瀬戸村および牛根(鹿児島県)に造船所を開設し、同月琉砲船「昇平丸」を瀬戸村にて起工 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
6月3日 | 米国東インド艦隊長官ペリー、親書をたずざえ浦賀に来航 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
7月17日 | 露国使節プチャーチン、長崎に来航 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
7月 | 島津斉彬、右大臣近衛忠熈に軍艦建造を要望 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
7月 | 筑前藩主黒田斉溥、蒸気船および軍艦の製作許可を建議 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
7月 | 徳川斉昭、「海防愚考」を幕府に建言 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
8月 | 阿部老中、水戸藩に軍艦建造を委託 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
9月15日 | 幕府、「大船建造禁止令」を解除 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
9月 | 〃[幕府]オランダに軍艦・銃砲等を注文 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
9月 | 全国に造船業興隆の機運醸成 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
10月15日 | 長崎奉行水野筑後守、欧式海軍採用についてオランダ商館長より意見を聴取 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
11月2日 | 幕府、「造船用掛」を任命、浦賀にて英国船を模倣し「鳳凰丸」(船型バーク 3本マスト)を起工(翌年5.4竣工) | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
11月6日 | 薩摩藩、軍艦15隻(うち蒸気船3隻)の建造を計画(12.‐許可) | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
12月5日 | 水戸藩、江戸(東京)石川島に石川島造船所を設置 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
- | ○川崎正蔵、長崎にて貿易に従事 | 創業前史 天保3年(1832)―明治10年(1877)//当社主要事項 |