※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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嘉永6年(1853) | - | 【渋沢栄一】家業の畑作、養蚕、藍葉の買入、藍玉製造販売に精励。〔13歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 英人エルダー、2段膨張竪型舶用機関の特許権取得(翌年実用化) | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
安政元年(1854) | 1月16日 | 米国使節ペリー、再び浦賀に来航 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] |
3月3日 | 横浜にて神奈川条約締結、下田・函館の2港を開港 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
5月 | 加賀藩、西洋流火術方役所を金沢に設置 | 創業前史 天保3年(1832)―明治10年(1877)//当社主要事項 | |
7月9日 | 幕府、「白地に日の丸」を日本船の旗章とする旨を布告 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
8月 | 〃[加賀藩]西洋流火術方役所を壮猶館と改称、洋式伝習を開始 | 創業前史 天保3年(1832)―明治10年(1877)//当社主要事項 | |
- | ○幕府、英・露と条約締結(8.‐~12.‐) | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
- | ○英国パシフィック会社の汽船「ブランドン」竣工 2段膨張機関を装備し、その有利性を実証 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
安政2年(1855) | 3月 | 露国使節プチヤーチン、乗艦沈没のため、代艦として伊豆戸田(へた)村(静岡県)にてスクーナー型帆船2隻を建造(洋式造船法をわが国へ初めて紹介) | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] |
7月29日 | 幕府、海軍の興立を決定 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
8月 | オランダより幕府へ蒸気船「スームビング」を贈呈(1850年建造、のち軍艦「観光」と改称 わが国が所有した最初の汽船) | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
10月20日 | 幕府、長崎に海軍伝習所を設置 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
- | ○英人ベッセマー、転炉製鋼法(ベッセマー法)を発明 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
- | ○米人ブラウン、万能フライス盤を製作(万能割出台を備え、カッターの成型容易となる) | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
安政3年(1856) | - | 【渋沢栄一】父の代理で領主安部摂津守の岡部の陣屋で用金の命を受ける。代官が傲慢で栄一を侮蔑、圧制に痛憤し封建の弊に強烈な反感を持つ。〔16歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 幕府、カッター船の建造を決定し、長崎海岸に仮造船所を設置 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
2月 | 幕府、伊豆戸田村にて米国式ボート(韮山型)数隻を建造 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
7月12日 | 水戸藩、幕命により「旭日丸」を江戸石川島にて建造(1.‐起工)、引続き幕命により伊沢型4隻を起工 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
7月21日 | 最初のアメリカ総領事ハリス、下田に着任 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
7月 | 幕府、長崎飽ノ浦に製鉄所設置を決定 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
12月23日 | 幕府、オランダと条約締結 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] |