※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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文久3年(1863) | - | 【渋沢栄一】高崎城乗っ取り、横浜焼き討ちを企てるが、計画を中止し京都に出奔。〔23歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月7日 | 幕府、「日の丸」を一般御国標とする旨を布告 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
- | ○川崎正蔵、大阪にて商店を開業 | 創業前史 天保3年(1832)―明治10年(1877)//当社主要事項 | |
- | ○幕府、長崎立神郷に70馬力蒸気軍艦打建所の建設を決定、着工 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
- | ○幕府、飽ノ浦にて蒸気内車船「先登丸」を建造 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
- | ○〃[幕府、]神戸海軍操練局を設置 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
- | ○英国にて蒸気機開車を使用 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
元治元年(1864) | - | 【渋沢栄一】一橋家に仕える。篤太夫と改名。〔24歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 長崎の立神軍艦打建所を立神造船場と改称 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
5月14日 | 大阪船手組を廃止、神戸海軍操練局に編入 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
8月3日 | 幕府、長州征伐を命令 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
8月5日 | 英・仏・米・蘭の連合艦隊、下関を砲撃 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
- | ○幕府造兵業の再建を企図 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
- | ○独人シーメンス・仏人マルチン、平炉製鋼法(屑鉄法)を発明 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
慶応元年(1865) | - | 【渋沢栄一】一橋家歩兵取立御用掛を命ぜられ領内を巡廻。〔25歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 幕府、軍艦「富士山」(1,000T)を米国より購入 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
3月9日 | 神戸海軍操練局閉鎖 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
4月13日 | 幕府、長州再征の軍を起す | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
8月 | 幕営横浜製鉄所落成(2.‐着工) | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
9月16日 | 英・仏・米・蘭の軍艦、兵庫(現在の神戸港)に来航、兵庫開港を強要 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
9月 | 幕営横須賀製鉄所起工 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
10月5日 | 長崎・神奈川・函館の開放勅許 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] | |
慶応2年(1866) | - | 【渋沢栄一】徳川慶喜、徳川宗家を相続(後に征夷大将軍)し、栄一は幕臣となる。〔26歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月29日 | 幕府は、神奈川・長崎・函館にて自由交易と民間の外国製船舶の購入を許可 | 参考事項[内容※は当社と関連の深い事項] |