※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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嘉永5年(1852) | 12月 | 薩藩琉砲船(昇平丸)の建造を幕府に申請、幕府琉球渡航用として許可を与う | 参考事項 |
嘉永6年(1853) | - | 【渋沢栄一】家業の畑作、養蚕、藍葉の買入、藍玉製造販売に精励。〔13歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月29日 | 薩州桜島漕ノ浦(瀬戸村)及び牛根に造船所を新設、同月琉砲船(昇平丸)を漕ノ浦で起工 | 参考事項 | |
6月 | 米国使節ペルリ相州浦賀に入港 | 参考事項 | |
7月 | 島津斉彬書を右大臣近衛忠熈に呈し勅諭を幕府に下し軍艦建造の議を冀望す | 参考事項 | |
7月 | 長崎警備の筑前藩主黒田斉溥仮令諸方の砲台建築に数千万金を投じても洋式艦船の備がなければ防禦は必勝を期し難い旨を説き、速かに蒸汽船及び軍艦の製造許可を建議す | 参考事項 | |
7月 | 徳川斉昭「海防愚考」十条五事を幕府に建議し、軍艦、汽船の建造を和蘭へ註文し、又造船技師及び高級海員の招聘を説く | 参考事項 | |
8月26日 | 肥前侯長崎和蘭商館長ドンケル・クルチウスに軍艦数隻の購入斡旋方を依頼 | 参考事項 | |
9月15日 | 幕府「大船製造の禁」を解く | 参考事項 | |
10月15日 | 長崎奉行水野筑後守欧式海軍採用につき和蘭商館長へ意見を徴す | 参考事項 | |
10月15日 | 幕府正式に軍艦註文約定書を和蘭商館長へ交付 | 参考事項 | |
11月2日 | 幕府勘定奉行石河土佐守、松平河内守、目付堀利忠、勘定吟味役竹内保徳を「造船用掛」とし相州浦賀に於て英国船を模し「凰鳳[鳳凰]丸」(船型バルク 長二二間 幅五間 三檣)製造の工を起す | 参考事項 | |
11月6日 | 島津斉彬軍艦一五隻(内蒸気船三隻)の建造計画を樹て一二月幕府の許可を得 | 参考事項 | |
安政元年(1854) | 1月 | 米国使節ペルリ再度浦賀へ渡来 | 参考事項 |
2月 | 幕府 江戸近海警備の諸藩に製艦を促す | 参考事項 | |
3月 | 神奈川下田両仮条約締結 | 参考事項 | |
3月 | 薩州磯ノ浜で小蒸汽船の製造に着手、安政二年五月進水、船体機関とも竣工したが完成に到らず | 参考事項 | |
3月 | 薩藩「以呂波丸」竣工 | 参考事項 | |
4月3日 | 薩藩「昇平丸」進水、同年一二月一二日竣工 | 参考事項 | |
5月 | 幕府建造の「鳳凰丸」竣工 | 参考事項 | |
7月9日 | 日章旗を我国船舶の旗章と定む | 参考事項 |