西日本重工業(株)長崎造船所『三菱長崎造船所史. 続篇』(1951.12)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
安政3年(1856) - 【渋沢栄一】父の代理で領主安部摂津守の岡部の陣屋で用金の命を受ける。代官が傲慢で栄一を侮蔑、圧制に痛憤し封建の弊に強烈な反感を持つ。〔16歳〕 渋沢関係略年譜
3月 幕府註文の「鳳瑞丸」、「大元丸」鹿児島を出港 参考事項
12月 佐賀藩深堀に於てコツトル船を起工(安政四年八月竣工) 参考事項
安政4年(1857) 3月4日 軍艦奉行永井玄蕃頭伝習生一五〇名を引率し観光丸にて長崎を出帆(三月二六日江戸着) 参考事項
4月 「軍艦教授所」を築地講武所構内に開設(七月一九日開講) 参考事項
8月4日 予ねて和蘭へ依頼の軍艦ヤツパン号(一八五六年和蘭カンデルク建造 蒸汽内車 砲一二門 一〇〇馬力 長二七間半 幅四間 三檣 後に「咸臨」と称す)長崎入港 参考事項
8月4日 長崎海軍伝習所新教師リツトル・ホイスセンカツテンデイケ中尉、ハーハルデス等三三名来崎 参考事項
8月25日 長崎製鉄所取建方伝習掛として御役所附触頭山本惣次郎外六名を任命 重要事項
8月 江戸石川島に於て「通済丸」(スクーナー木製 二檣 八馬力)を建造 参考事項
9月16日 新教師の到来により前教師一行蘭船アンナデイグナ号に搭乗長崎を去る 参考事項
10月10日 長崎稲佐郷飽ノ浦の地に鎔鉄所設立に着手//工事は和蘭機関方士官ハルデス首としてこれを担任し、会計その他の事務は永持亭次郎執る 重要事項
- (夏)長崎大波止場に於てカッター船竣工進水(「長崎形」一檣 長一二間 幅三間) 参考事項
安政5年(1858) - 【渋沢栄一】従妹尾高千代(ちよ、尾高惇忠の妹)と結婚。〔18歳〕 渋沢関係略年譜
3月 ハルデス以下蘭人製鉄所最寄に仮住居の件につき願出ず 重要事項
4月 和蘭技師飽ノ浦海岸に長さ三三間 幅一八間水平面上二間 水平面下四間の船渠築設の要を建議す 重要事項
4月 佐賀藩建造の「晨風丸」(カッター木製一檣帆船 長一二間 幅三間 深二間 五〇噸)建造 参考事項
5月3日 蒸汽艦エド号(蒸汽内車 砲一二門 一〇〇馬力長二七間 幅四間 一八五六年和蘭カンデルク建造)長崎に入港(「朝陽」と称す) 参考事項
5月 長崎海軍伝習所教師カッテンデイケ中尉ヤッパン号にて薩藩へ赴く(七月再度訪) 参考事項
6月 姫路に於て「速鳥丸」(スクーナー木製 長一五間 幅三間 四五〇石)建造 参考事項
7月5日 英艦四隻品川に入る エンピロル号(蒸汽内車 砲四門 六〇馬力 長二三間一尺 幅三間三尺 深二間一尺 英国ブレツキワル建造)を献ず 後に「蟠竜」と称す 参考事項
- 函館に於て「箱館丸」、「亀田丸」(スクーナー木製 二檣 長一八間 幅四間)船工高田嘉兵衛、鋳物工銅屋久、細工藤林十郎の手により成る 参考事項
- 津に於て「神風丸」(スクーナー木製 長一八間 幅五間 深三間四尺)を建造 参考事項
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