※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治14年(1881) | - | 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 第2回内国勧業博覧会東京にて開催 | 参考事項 | |
4月1日 | 英人エドワード・ハズレット・ハンター大阪安治川口の六軒家新田に大阪鉄工所を創立し、造船鉄工業を営む | 当社主要事項 | |
明治15年(1882) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 農商務省の管船課を廃し、管船局設置 | 参考事項 | |
6月 | 東京馬車鉄道会社(新橋-日本橋間)開業 | 参考事項 | |
7月 | 半官半民の共同海輸会社設立 | 参考事項 | |
9月 | 当社第1番船初丸(木船)竣工 | 当社主要事項 | |
明治16年(1883) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 鎮西丸に装備する表面凝縮連成汽機(公称50馬力)と汽缶を製作 | 当社主要事項 | |
2月 | 東京電灯会社設立(20.1.12初めて電灯点火) | 参考事項 | |
5月 | 木造乾ドックを築造(大阪最初の乾ドック) | 当社主要事項 | |
- | 甲賀卯吉を所員に採用 | 当社主要事項 | |
明治17年(1884) | - | 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月1日 | ハンター経営困難に陥り当社の事業を門田三郎兵衛に譲渡 | 当社主要事項 | |
5月 | 大阪商船会社設立 | 参考事項 | |
12月 | 事業不振のため当社一時休業 | 当社主要事項 | |
- | ロイド船級協会の検査員わが国に初めて駐在 | 参考事項 | |
明治18年(1885) | - | 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
12月 | 第1次伊藤(博文)内閣成立 | 参考事項 | |
- | 当社の経営 ハンターに復帰 | 当社主要事項 | |
- | 外人技術者退職、佐山芳太郎、家入安ら邦人技術者を採用 | 当社主要事項 | |
明治19年(1886) | - | 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 | 渋沢関係略年譜 |
- | わが国最初の火力発電所建設(東京電灯茅場町発電所) | 参考事項 | |
明治20年(1887) | - | 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・理事(後に日本煉瓦製造株式会社取締役会長)。東京ホテル創立・理事長(後に帝国ホテル株式会社取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
12月 | 鉄船建造の施設を整える | 当社主要事項 | |
12月 | 大阪電灯会社設立 | 参考事項 |