※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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天保5年(1834) | 12月12日 | 岩崎弥太郎、土佐国安芸郡井ノ口村一ノ宮に生まる | 当所の動き |
- | ロイド レジスタの開始 | 社会の動き | |
安政2年(1855) | 7月 | 長崎鎔鉄所建設の議起る//長崎造船所の起源胚胎す | 当所の動き |
7月 | 幕府、長崎に海軍伝習所を起す | 社会の動き | |
12月23日 | 日蘭和親条約を長崎で調印 | 社会の動き | |
安政3年(1856) | - | 【渋沢栄一】父の代理で領主安部摂津守の岡部の陣屋で用金の命を受ける。代官が傲慢で栄一を侮蔑、圧制に痛憤し封建の弊に強烈な反感を持つ。〔16歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | アメリカ総領事ハリス下田に上陸 | 社会の動き | |
9月18日 | 浦上三番崩れ | 社会の動き | |
安政4年(1857) | 8月5日 | 第2次海軍伝習教官カッテンディーケ中尉一行渡来、海軍医ポンペも同行 | 社会の動き |
8月25日 | 長崎鎔鉄所取建方伝習掛として、御役所付触頭、山本惣次郎外6名就任 | 当所の動き | |
10月10日 | 長崎浦上村淵字飽ノ浦の地に鎔鉄所建設に着手、工事は御雇蘭人機関将校ハーハルデス総指揮による | 当所の動き | |
12月29日 | 長崎奉行、踏絵執行中止を命ずる | 社会の動き | |
安政5年(1858) | - | 【渋沢栄一】従妹尾高千代(ちよ、尾高惇忠の妹)と結婚。〔18歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | ハルデス以下オランダ人、鎔鉄所付近に仮住居の件出願 | 当所の動き | |
4月 | オランダ教師、飽ノ浦海岸に大船修復場築設の必要奉行に建議す//長崎鎔鉄所は鍛冶場、工作場、鎔鉄場の3工場に始まる | 当所の動き | |
6月 | 長崎にコレラが発生、のち江戸まで流行 | 社会の動き | |
7月 | 長崎に英語伝習所が設立される | 社会の動き | |
- | 出島のオランダ商館廃止され領事館になる | 社会の動き | |
安政6年(1859) | 5月23日 | 幕府、長崎・神奈川・函館を開き、露・仏・英・蘭・米との自由貿易を許す | 社会の動き |
5月 | 飽ノ浦工場創設のころ瓊浦形と称する汽船を製造、わが国汽船建造の嚆矢造船所を兼ねた海軍伝習所を廃止、長崎鎔鉄所に合併 | 当所の動き | |
8月22日 | 長崎奉行岡部駿河守、蒸汽機関工場を参観、蒸汽鎚の打初式を行なう | 当所の動き | |
8月23日 | グラバー兄弟が長崎に渡航 | 社会の動き |