※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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万延元年(1860) | 3月3日 | 桜田門外の変 | 社会の動き |
11月 | 本木昌造、長崎鎔鉄所御用掛任命 | 当所の動き | |
12月12日 | 長崎奉行岡部駿河守、ハルデスらとともに、長崎鎔鉄所の上棟式を行ない、「長崎製鉄所」と改称 | 当所の動き | |
12月 | ハルデス解雇、帰国 | 当所の動き | |
- | 日本・ポルトガル通商条約締結 | 社会の動き | |
文久元年(1861) | - | 【渋沢栄一】春、江戸に出て、海保漁村塾・千葉栄次郎道場に学ぶ。〔21歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月3日 | ロシア艦が対馬に来航、停泊の許可を藩に求める(対馬事件) | 社会の動き | |
3月25日 | 長崎製鉄所工場竣工、機械据付完了 | 当所の動き | |
3月28日 | 長崎製鉄所落成式挙行 | 当所の動き | |
3月 | 浦上村淵立神郷に軍艦打建掛を設置、平野富次郎(富二)、長崎製鉄所機関手見習仰付 | 当所の動き | |
5月15日 | 長崎で英字新聞が発刊される | 社会の動き | |
- | イギリス艦が平戸近海を測量 | 社会の動き | |
文久2年(1862) | 8月21日 | 生麦事件 | 社会の動き |
11月 | 長崎奉行大久保豊後守、軍艦打建ならびに修船場取建などにオランダ人職人14人呼寄せ方を幕府へ出願 | 当所の動き | |
11月 | 上野彦馬、写真館を長崎に開く | 社会の動き | |
文久3年(1863) | - | 【渋沢栄一】高崎城乗っ取り、横浜焼き討ちを企てるが、計画を中止し京都に出奔。〔23歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 長崎奉行服部左衛門佐、浦上村淵立神郷に立神軍艦打建所を「造船場」と改称し建築した | 当所の動き | |
4月24日 | 幕府、神戸村に海軍操練所を設置 | 社会の動き | |
6月5日 | 長崎製鉄所、神戸操練所の付属となる | 社会の動き | |
7月2日 | 英艦、鹿児島を砲撃(薩英戦争) | 社会の動き | |
11月 | 長崎奉行は新規に軍艦打建のため船材伐出し方について、西国筋代官所ならびに預所役人へ御達し方を御勘定奉行へ願出た | 当所の動き | |
- | グラバーがグラバー邸を建てる | 社会の動き |