※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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元治元年(1864) | - | 【渋沢栄一】一橋家に仕える。篤太夫と改名。〔24歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 立神の軍艦打建所を「立神造船場」と改称 | 当所の動き | |
3月7日 | 長崎奉行服部左衛門佐に、製鉄所雇、オランダ人造船師カール レーマン、シャルレス レミーは、鋼鉄鋳物場新規取建の件および軍艦打建所、製鉄所の不足機械をオランダ国へ誂え方を伺い出た | 当所の動き | |
8月 | 英・米・仏・蘭艦隊が下関砲撃、英人ホワイトが自動式魚形水雷製作 | 社会の動き | |
8月 | 島原藩、第一次長州征伐に出兵 | 社会の動き | |
慶応元年(1865) | - | 【渋沢栄一】一橋家歩兵取立御用掛を命ぜられ領内を巡廻。〔25歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月24日 | 大浦天主堂完成 | 社会の動き | |
5月 | 坂本竜馬、同士と「亀山社中」をつくる | 社会の動き | |
8月 | 長崎製鉄所の経営困難につき、本木昌造が改革意見を提出 | 当所の動き | |
- | 小菅修船場設置の方案胚胎す | 当所の動き | |
慶応2年(1866) | - | 【渋沢栄一】徳川慶喜、徳川宗家を相続(後に征夷大将軍)し、栄一は幕臣となる。〔26歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 製鉄所縦覧を一般公衆に許可 | 当所の動き | |
5月 | 石川島で建造中のわが国最初の戦艦「千代田形」竣工 | 社会の動き | |
慶応3年(1867) | - | 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 岩崎弥太郎、長崎土佐商会主任として赴任 | 当所の動き | |
4月 | 幕府の許可を受け、戸町村小菅浦に修船場設置工事を開始 | 当所の動き | |
10月 | 土佐大阪商会設立 | 当所の動き | |
12月9日 | 大政奉還、王政復古の大号令 | 社会の動き | |
- | 浦上四番崩れが起こる | 社会の動き | |
- | ノーベルがダイナマイトを発見 | 社会の動き | |
明治元年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月1日 | 長崎裁判所を置く | 社会の動き | |
3月16日 | 長崎裁判所、浦上キリシタンを招喚、棄教を勧めたが拒絶される | 社会の動き | |
5月21日 | 浦上キリシタン第一次流罪 | 社会の動き | |
5月 | 横須賀造船所にスリップ ドック完成 | 社会の動き |