三菱造船(株)『三菱造船株式会社史』(1967.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
安政4年(1857) 10月10日 幕府、長崎鎔鉄所建設に着工 (旧)三菱重工業
万延元年(1860) 12月2日 長崎鎔鉄所を長崎製鉄所と改称、文久元=1861.3.28竣工 (旧)三菱重工業
慶応3年(1867) - 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 渋沢関係略年譜
12月9日 王政復古の宣言 一般
慶応4年(1868) - 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 渋沢関係略年譜
6月19日 長崎製鉄所官収 (旧)三菱重工業
明治3年(1870) - 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 渋沢関係略年譜
10月18日 (閏10月)岩崎弥太郎、大阪で九十九商会を設立(土佐藩の開成館を継承)、海運業を営む (旧)三菱重工業
明治4年(1871) - 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 渋沢関係略年譜
4月9日 長崎製鉄所、工部省の所管となり、長崎造船所と改称 (旧)三菱重工業
明治5年(1872) - 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 渋沢関係略年譜
1月 九十九商会を三川商会と改称 (旧)三菱重工業
10月20日 工部省の長崎造船所を長崎製作所と改称 (旧)三菱重工業
明治6年(1873) - 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 渋沢関係略年譜
3月 三川商会を三菱商会と改称 (旧)三菱重工業
7月28日 地租改正条例制定 一般
明治7年(1874) - 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 渋沢関係略年譜
4月4日 征台の役(台湾出兵)はじまる(10月、おわる) 一般
4月 三菱商会本店を大阪から東京に移し、この年7月、三菱汽船会社(三菱蒸汽船会社とも称した)と改称 (旧)三菱重工業
明治8年(1875) - 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 渋沢関係略年譜
9月15日 三菱汽船会社を郵便汽船三菱会社と改称 (旧)三菱重工業
12月31日 ボイド商会と共同で横浜に三菱製鉄所(造船器械所)設立 (旧)三菱重工業
明治10年(1877) - 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 渋沢関係略年譜
1月13日 工部省の長崎製作所を長崎工作分局と改称 (旧)三菱重工業
2月15日 西南の役はじまる(9月おわる) 一般
明治13年(1880) - 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 渋沢関係略年譜
11月5日 工場払下概則制定(明17.廃止) 一般
明治16年(1883) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 渋沢関係略年譜
9月22日 工部省の長崎工作分局を長崎造船局と改称 (旧)三菱重工業
明治17年(1884) - 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 渋沢関係略年譜
7月7日 郵便汽船三菱会社、工部省長崎造船局の全工場を官有物借用名義で引受け、事業を継承、長崎造船局を長崎造船所と改称 (旧)三菱重工業
明治18年(1885) - 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 渋沢関係略年譜
2月7日 郵便汽船三菱会社初代社長岩崎弥太郎死去、第2代社長に岩崎弥之助就任(2.18) (旧)三菱重工業
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