※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正9年(1920) | - | 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
5月15日 | 三菱内燃機製造株式会社設立、神戸内燃機製作所を同社に移管(大10.10.1三菱内燃機株式会社と改称) | (旧)三菱重工業 | |
7月7日 | 八八艦隊案、議会を通過(ワシントン条約により中止) | 一般 | |
大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
1月15日 | 三菱電機株式会社設立、神戸電機製作所を同社に移管(2.1) | (旧)三菱重工業 | |
9月1日 | 長崎製鋼所を長崎造船所に吸収 | (旧)三菱重工業 | |
12月18日 | 戦艦“土佐”進水、(ワシントン条約により未竣工のまま、引渡し、土佐沖で実験撃沈) | (旧)三菱重工業 | |
大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
2月6日 | ワシントン海軍軍縮および中国に関する9ヵ国条約調印 | 一般 | |
大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月1日 | 関東大震災 | 一般 | |
大正14年(1925) | - | 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 | 渋沢関係略年譜 |
5月5日 | 普通選挙実現 | 一般 | |
12月24日 | 三菱造船株式会社第3代会長に浜田彪就任 | (旧)三菱重工業 | |
昭和2年(1927) | - | 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月15日 | 金融恐慌おこる | 一般 | |
昭和3年(1928) | - | 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
5月1日 | 三菱内燃機株式会社を三菱航空機株式会社と改称 | (旧)三菱重工業 | |
5月3日 | 済南事件勃発(山東出兵による日中両軍の衝突) | 一般 | |
昭和4年(1929) | - | 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月15日 | 客船“浅間丸”(日本郵船)竣工 | (旧)三菱重工業 | |
10月24日 | 世界恐慌おこる(翌年日本に波及、昭和恐慌) | 一般 | |
昭和5年(1930) | - | 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月11日 | 金解禁 | 一般 | |
4月22日 | ロンドン海軍軍縮条約調印 | 一般 | |
昭和6年(1931) | - | 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。11月11日永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
4月1日 | 重要産業統制法公布 | 一般 | |
9月18日 | 満洲事変はじまる | 一般 | |
12月13日 | 金輸出再禁止(金本位制離脱) | 一般 | |
昭和7年(1932) | - | 【竜門社】第一次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。【渋沢敬三】第一銀行常務取締役就任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月28日 | 上海において日中両軍衝突 | 一般 |