いすゞ自動車(株)『いすゞ自動車史』(1957.04)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正10年(1921) - 【渋沢栄一】排日問題善後策を講ずるため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 渋沢関係略年譜
- 快進社(橋本増次郎氏)小型自動車では企業の維持困難なるため、軍用自動車の製造を計画。 社内の主要記事
- 東京瓦斯電気工業「T.G.E」B型トラツク完成。 社内の主要記事
- 東京石川島造船所深川分工場に、1年の契約で英国ウーズレー会社よりペニヨル氏が技術指導のため駐在。 社内の主要記事
大正11年(1922) - 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 渋沢関係略年譜
2月6日 日英米仏伊、ワシントンにて海軍軍備制限条約に調印。 内外の主要記事
3月10日 平和記念東京大博覧会東京上野公園に開催さる。(7月31日まで) 内外の主要記事
3月 東京石川島造船所は上野公園の平和博覧会にウーズレー10馬力乗用車を出品。同時に白楊社のオートモ号小型3輪車実用自動車会社のゴーハム号も出品さる。 社内の主要記事
4月22日 健康保険法公布(15年7月1日施行) 内外の主要記事
10月30日 イタリアのフアシスト党首領ムッソリーニ、ミラノよりローマに入り、直ちに新内閣を組織し、独裁政治を断行。 内外の主要記事
10月 東京石川島造船所はCP型トラツク2両の受領と、製造権利金の値引交渉のため村上義諦技手をウーズレー社に派遣(翌年3月帰朝)。 社内の主要記事
12月31日 東京石川島造船所深川分工場において、ウーズレーA9型国産乗用車第1号完成し、三浦半島に試運転を行う。工場帰着は元日の朝となる。 社内の主要記事
- 東京石川島造船所深川分工場において、ウーズレー級の優秀車両を製作し得るに至り、陸軍保護自動車資格受検の目的をもつてトラツクの製作にかかるため、ウーズレー社にCP型トラツク2両を発注す。 社内の主要記事
大正12年(1923) - 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 渋沢関係略年譜
2月19日 三宮現社長、東京石川島造船所自動車部に入社。 社内の主要記事
2月 東京石川島造船所は丸ビル内(1階北側明治屋隣)に自動車営業所を開設。 社内の主要記事
3月30日 陸軍造兵廠令公布、砲兵工廠条令廃止。 内外の主要記事
9月1日 関東大震災により東京石川島造船所深川分工場の設備、車両ともに全焼し、一時自動車製造中止の論も出たが、新佃島の本社事務所跡に移り製造を継続することになる。東京瓦斯電気工業は大手町の本社建物を全焼、大森工場で一部建物の倒壊あり。快進社は軍用自動車製作中災禍にあい、橋本氏の独立経営不可能となる。 社内の主要記事
9月1日 午前11時58分関東地方に未曽有の大地震(死者13万8千3百余名、倒壊焼失家屋46万6千余、損害百億余円)。直後モラトリアム布かる。 内外の主要記事
9月2日 山本権兵衛内閣成立。 内外の主要記事
11月10日 国民精神作興に関する大詔かん(渙)発。 内外の主要記事
- 東京石川島造船所、ウーズレー用粗型材、フレーム、ラジエーター、タイヤ、ステアリングホイール、電装品、パツキング、ベアリング等30台分を三井物産を通じ輸入す。 社内の主要記事
大正13年(1924) - 【渋沢栄一】日仏会館開館・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 渋沢関係略年譜
1月18日 東京市営乗合自動車44両(フオードT型1トン半トラツクシヤシーを11人乗としたもの)をもって営業を開始す(巣鴨―東京駅、中渋谷―東京駅間)。 内外の主要記事
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