※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正15年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
6月11日 | 国産振興委員会官制公布。 | 内外の主要記事 | |
9月14日 | 東京石川島造船所取締役渋沢正雄氏は、欧米諸国の工業視察のため出発す。(翌年5月12日帰朝) | 社内の主要記事 | |
9月 | 大阪の実用自動車製造株式会社はダツト自動車商会を合併してダツト自動車製造株式会社(資本金50万円)となり、軍用自動車専門工場となる。 | 社内の主要記事 | |
11月 | CP型改造のATC型オートクレーン車製作。 | 社内の主要記事 | |
12月25日 | 大正天皇崩御、今上天皇践祚、昭和と改元。 | 内外の主要記事 | |
12月 | 日本ゼネラル・モータース株式会社、大阪市大正区鶴町に設立。(外国法人、資本金800万円) | 内外の主要記事 | |
昭和2年(1927) | - | 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 日本ゼネラル・モータース株式会社コンベア・システムによる組立事業を開始。 | 内外の主要記事 | |
4月 | 経済恐こう(慌)起り各地の銀行の取付、休業続出す。22日より3週間モラトリアム実施。 | 内外の主要記事 | |
5月12日 | 渋沢正雄氏帰朝、滞英中ウーズレー自動車会社との契約解除に成功し、東京石川島造船所は自由な立場において、純国産自動車を製造し得ることになった。 | 社内の主要記事 | |
12月30日 | 上野―浅草間に地下鉄開通。 | 内外の主要記事 | |
- | 白楊社、自動車の製造を停止し、閉鎖。 | 内外の主要記事 | |
昭和3年(1928) | - | 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
2月20日 | 普通選挙による最初の総選挙行わる。 | 内外の主要記事 | |
5月3日 | 済南事件。 | 内外の主要記事 | |
6月4日 | 張作霖爆死。 | 内外の主要記事 | |
6月19日 | 閑院宮載仁親王殿下、東京石川島造船所自動車工場に台臨。 | 社内の主要記事 | |
8月21日 | 東京石川島造船所楠木直道(現専務取締役)欧米諸国の自動車研究ならびに視察のため出発。(4年9月27日帰朝) | 社内の主要記事 | |
8月27日 | 日英米仏伊等15カ国不戦条約調印。 | 内外の主要記事 | |
12月28日 | 「スミダ」CL型水冷4気筒ガソリン・エンジン完成し、CL型トラツクの試作を行う。 | 社内の主要記事 | |
12月 | 「スミダ」LA型探照灯自動車完成。 | 社内の主要記事 | |
- | 東京石川島造船所は、新型6気筒自動車の名称を懸賞募集により「スミダ」と決定。 | 社内の主要記事 |