※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
10月14日 | 鉄道博物館開館にともない、鉄道信号灯、標識灯類を出品展示 | [社内] | |
10月14日 | 鉄道50周年祝典挙行、鉄道博物館開館 | [一般] | |
大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 株式一斉に暴落、不況漫性化する | [一般] | |
8月18日 | 上越線清水トンネル着工 | [一般] | |
8月20日 | 小糸源六郎商店、清水トンネル用工事材料を納入開始 | [社内] | |
10月13日 | 新橋―横浜間開通の10月14日を鉄道記念日と定める | [一般] | |
大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月1日 | 関東大震災のため、京橋の小糸源六郎商店事務所、住居、月島工場等を全焼 | [社内] | |
9月1日 | 関東大震災 | [一般] | |
9月2日 | 第2次・山本権兵衛内閣成立 | [一般] | |
9月27日 | 震災手形補償法公布 | [一般] | |
12月 | 東京市京橋区鈴木町6番地に仮事務所落成 | [社内] | |
大正13年(1924) | - | 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 | 渋沢関係略年譜 |
1月18日 | 東京市電気局、乗合自動車営業を開始、円太郎バスと俗称さる | [一般] | |
3月20日 | 東京石川島造船所のウズレー車、軍用保護自動車検定に合格 | [一般] | |
4月10日 | 東京府荏原郡大崎居木橋に工場を開設し、鉄道信号灯、標識灯類の製造を再開 | [社内] | |
4月28日 | 小糸源六郎、鉄道用乗降場灯を考案し、実用新案特許を申請(大正14年6月22日、第87615号にて登録)第1号特許となる | [社内] | |
12月 | 東京駅にて初めて色灯式信号機の使用開始 | [一般] | |
大正14年(1925) | - | 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 丹那トンネル工事用電気機関車に、初めて反射鏡使用の電球式前照灯採用さる | [社内] | |
3月25日 | 熱海線、国府津起点で熱海まで開通 | [一般] | |
3月 | 目蒲電鉄(現在の東急)新鋼製電車に、小糸源六郎考案の排気孔付天井灯、初めて採用さる 同時に反射鏡式前照灯も採用さる | [社内] | |
4月26日 | 東京山手線、複々線開通、新宿駅落成式挙行 | [一般] |