※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正9年(1920) | - | 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月30日 | 創立総会 | 社業年譜 | |
大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
1月25日 | 取締役田部華吉氏辞任(一月二十七日登記) | 社業年譜 | |
2月10日 | 会社設立登記//海塚新八氏初代社長に就任 | 社業年譜 | |
3月14日 | 取締役松田重次郎氏二代社長に就任(七月十四日代表取締役変更登記) | 社業年譜 | |
4月 | 隣接地八六〇坪を買収、工場組織の改善拡張に着手 | 社業年譜 | |
5月30日 | 常務取締役清谷角八氏辞任(五月三十一日登記) | 社業年譜 | |
7月8日 | 第二回株金払込完了登記、払込総額二〇万円となる | 社業年譜 | |
9月10日 | 処務規定制定 | 社業年譜 | |
大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
4月19日 | 会社、工場を吉島町に移転(広島市吉島町二三四ノ一) | 社業年譜 | |
7月 | コルク製冷蔵器製作//コルク圧搾板製造開始 | 社業年譜 | |
12月 | 大阪出張所設置(大阪市北区堂島浜通一丁目一〇松田商店内) | 社業年譜 | |
大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月30日 | 第一期定時株主総会開催(於広島商業会議所) | 社業年譜 | |
7月 | 中旬連日豪雨の為工場浸水 | 社業年譜 | |
大正13年(1924) | - | 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 外国産原料第一回発註(一五〇トン) | 社業年譜 | |
2月1日 | 東京出張所設置(東京市神田区黒門町省線ガード第五号広島勧業協会内) | 社業年譜 | |
11月25日 | 第三回株式払込(一株に付五円)完了、払込総額二五万円となる | 社業年譜 | |
大正14年(1925) | - | 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 | 渋沢関係略年譜 |
4月15日 | 第四回株式払込(一株に付一二・五円)完了、払込総額三七・五万円となる | 社業年譜 | |
12月5日 | 火災発生 | 社業年譜 | |
大正15年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
2月23日 | 火災後操業再開 | 社業年譜 | |
4月14日 | 東京出張所移転(東京市神田区豊島町七番地) | 社業年譜 |