富士重工業(株)『富士重工業50年史 : 資料集 : 1953-2003』(2004.07)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和18年(1943) - 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 渋沢関係略年譜
2月1日 日本軍、ガダルカナル島撤退開始 業界・一般
2月 愛知航空機設立 業界・一般
3月 大宮製作所(大宮市宮原町)開設、海軍エンジン生産開始 中島飛行機
4月3日 小泉製作所分工場として伊勢崎第ニ工場開設 中島飛行機
4月 三島製作所(三島市谷田)開設、海軍機器生産開始 中島飛行機
9月8日 イタリア、無条件降伏 業界・一般
9月21日 閣議、国内態勢強化方策決定(航空機最優先・食糧自給態勢確立) 業界・一般
9月 本社を東京都麹町区丸の内二丁目16番地明治生命ビル内に移転 中島飛行機
11月1日 武蔵野・多摩両製作所を統合して武蔵製作所とする 中島飛行機
11月27日 カイロ宣言 業界・一般
- (海)艦上攻撃機「天山」、(海)夜間戦闘機「月光」制式採用 中島飛行機
昭和19年(1944) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 渋沢関係略年譜
1月16日 航空工業会設立 業界・一般
1月18日 軍需会社法の第1次指定を受け軍需省の管理下に入る 中島飛行機
1月 宇都宮製作所(宇都宮市西原町)開設、陸軍機体生産開始 中島飛行機
6月15日 本社を東京都目黒区駒場町861の前田公爵邸に移転 中島飛行機
9月18日 日産自動車、日産重工業と改称 業界・一般
11月24日 B-29大編隊、東京を初爆撃 業界・一般
- (海)艦上偵察機「彩雲」、(陸)四式戦闘機「疾風」、「誉」エンジン制式採用、(海)4発陸上攻撃機「連山」試作完成 中島飛行機
昭和20年(1945) - 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 渋沢関係略年譜
3月3日 B-29、東京を夜間爆撃(~10日) 業界・一般
4月1日 国家管理の第一軍需工廠となり、中島喜代一が長官に任命される(設立時の規模は、工場数102〈疎開工場を含めると500〉、敷地3,531万m2、建物232.3万m2、機械3万735台、人員25万名) 中島飛行機
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