※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 島野鉄工所創業(第一次大戦後の不況の中、庄三郎28歳。小泉市松と二人/旋盤1台) | 経営関連 | |
大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 旋盤4台/フライス盤・ボール盤各1台/工員6名 | 経営関連 | |
- | この頃「3・3・3」のトレードマーク制定 | 経営関連 | |
- | 堺自転車の下請けでフリーホイール生産(月産3,000個) | 自転車関連 | |
大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月1日 | 関東大震災 | 社会一般 | |
- | 製品改良に努める | 経営関連 | |
- | 国内自転車保有台数320万台 | 社会一般 | |
大正13年(1924) | - | 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 工場拡張(200m2) | 経営関連 | |
- | 東京・名古屋に営業展開 | 経営関連 | |
- | 品質面での信頼獲得に努める | 経営関連 | |
昭和4年(1929) | - | 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 世界的な経済大恐慌の中で、一時操業停止 | 経営関連 | |
昭和5年(1930) | - | 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 海外市場開拓(中国・韓国・東南アジアなど) | 経営関連 | |
- | フリーホイール月産6万個 | 自転車関連 | |
- | 堺での市場占拠率50% | 自転車関連 | |
昭和6年(1931) | - | 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。11月11日永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 輸出活動開始 | 経営関連 | |
昭和7年(1932) | - | 【竜門社】第一次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。【渋沢敬三】第一銀行常務取締役就任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 日本自転車工業組合連合会設立 | 社会一般 | |
昭和11年(1936) | - | 【竜門社】第二次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 現・老松町に工場新築移転(25,000m2) | 経営関連 | |
- | 国内自転車年間生産台数100万台突破 | 社会一般 | |
昭和12年(1937) | - | 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会が、小畑久五郎著“An Interpretation of the Life of Viscount Shibusawa”を刊行する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 兵器生産を受注(フリーホイール生産減) | 経営関連 | |
昭和13年(1938) | - | 【渋沢敬三】国民貯蓄奨励委員会委員。 | 渋沢関係略年譜 |
9月 | 朝香宮殿下、本社・工場視察 | 経営関連 |