※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和53年(1978) | - | 【竜門社】酒井杏之助が評議員会長に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 成田新東京国際空港開港 | 一般 | |
- | 日中平和友好条約調印 | 一般 | |
- | 民間輸送機開発協会とボーイング社との間でB767共同事業契約調印 | 一般 | |
昭和54年(1979) | - | 【竜門社】渋沢敬三伝記編纂刊行会を援助し、『渋沢敬三』上巻を刊行。(下巻は1956年刊) | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 川崎重工業(株)よりP-3C対潜哨戒機のナセル、テールパイプ等の生産受注が決定。//杉田製作所は、当時の地原所長陣頭指揮のもと、総力をあげて3プロの導入に取組んだが、生産の立上り準備に伴う数々の困難に遭遇し、その対応に関係者全員が日夜忙殺される毎日が続いた。 | 当社 | |
7月 | 厚木製作所に於て、修理機数累計8,000機の完成式典を挙行。 | 当社 | |
10月 | 民間航空分野への本格的進出を意図して「羽田事業所」を開設し、東亜国内航空(株)のYS-11機整備作業を実施。 | 当社 | |
- | 東京サミット開催 | 一般 | |
昭和55年(1980) | - | 【竜門社】第179回会員総会を飛鳥山にて開催。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 従業員の高齢化傾向に対応し、当社は57年9月より段階的に60歳定年への雇用延長を決定した。また定年延長の前提として人事諸制度全般の見直しと改善を図ることとなった。 | 当社 | |
2月 | 昭和53年にFRP船としては世界初の双胴型測量船「あおさぎ丸」(80屯)を進水させたのに続き、世界最大級の150屯FRP製双胴船「きたうら」が進水した。 | 当社 | |
3月 | 厚木製作所南工場に於て、従来よりのロッキード1011機用に続き、更にボーイング747 (ジャンボ)機用ニューマッチック装備品試験設備が完成した。 | 当社 | |
12月 | 民間航空機整備事業の長期的展望のもとに東亜国内航空(株)との友好協力関係の一層の強化を目指し、同社との間に対等出資による合弁会社「日東航空整備株式会社」を設立。尚、これに伴い、羽田事業所を閉鎖。 | 当社 | |
- | オリンピックモスクワ大会(日本不参加) | 一般 | |
昭和56年(1981) | - | 【竜門社】渋沢青淵翁没後50周年記念会を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 杉田製作所に3大プロジェクト用設備投資の一環として機材大型化に対応して新表面処理工場(メッキ及び塗装)が完成。 | 当社 | |
6月 | 現社長中川律雄氏が第6代社長に就任。中川社長は就任に際し、自らの所信として「信頼と合意」の経営を表明し、この実践として3S運動を提唱し、10月より全社運動として展開することになった。1S「創意工夫で原価低減」2S「新技術、新製品で販路拡大」3S「職場改善で品質向上」 | 当社 | |
- | 米国、スペースシャトル初飛行 | 一般 | |
- | 福井謙一、ノーベル化学賞受賞 | 一般 | |
昭和57年(1982) | - | 【渋沢史料館】渋沢青淵記念財団竜門社付属渋沢史料館を開館する。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 厚木製作所に於て陸上自衛隊のナイキランチャーオーバーホール100号機完成。 | 当社 | |
4月 | 従業員職能資格制度、役職制度、賃金制度の全面改訂を実施。 | 当社 | |
9月 | 公募により資本金を10億4,000万円に増資(増加資本金1億4,000万円) | 当社 | |
12月 | 人事考課制度の全面改訂並びに自己申告制度を新設。 | 当社 |