日本飛行機(株)『日飛50年の歩み : 日飛ニュース特集号 : 創立50周年記念』(1984.10)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和17年(1942) - 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 渋沢関係略年譜
- 金属回収令 一般
昭和18年(1943) - 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 渋沢関係略年譜
10月 資本金を3,000万円に増資。(増加資本金1,500万円) 当社
- 学徒出陣行われる 一般
- 結婚相談員「生めよ殖やせよ」を推進 一般
- 薬用アルコール製ウイスキー出回る 一般
昭和19年(1944) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 渋沢関係略年譜
1月 軍需会社法により軍需会社に指定される。 当社
- 太平洋戦争も末期となり既に敗色の色濃く、神風特別攻撃隊の出撃という悲壮な情勢下にあって、戦局の動向は飛行機の急速増産の如何にかかっていたため、当社に於ても最後の増産努力を尽した。 当社
- この頃、木製特攻機「桜花」の翼を製作した。 当社
- この頃から翌年にかけて、既に練習機は山形製作所に生産の主力は移っており、富岡製作所ではドイツのメッサーシュミット163の絵を基に設計したロケット式局地戦闘機「秋水」の製作に懸命で、終戦直前にはこれを10機製作している。 当社
- 煙草 隣組配給(男子のみ1日6本) 一般
- B29による横浜初空襲 一般
- 大都市に疎開令 一般
昭和20年(1945) - 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 渋沢関係略年譜
5月 B29大編隊の空襲により横浜は焼土と化した。 当社
5月 富岡製作所は、翌6月及び8月に米艦上機の空襲を受け被爆、以後生産は急速に低下していった。 当社
8月 終戦により操業を中止し、取敢えず9月16日迄の休業をきめ、従業員は残務整理に当ることとなった。 当社
8月 重役会に於て、今後の方策が検討され、整理要員(富岡、山形に夫々300名)を除く全従業員を早急に解雇する一方、解散又は転業について、大株主である住友、安田財閥を始め渋沢家や東亜興業等に対し意見を徴したが、どこからも特に名案は出ず、マッカーサー司令部の在庫品活用奨励に応じて、取敢えず在庫活用による転業の道を模索することとなった。 当社
11月 富岡製作所が、進駐軍の全面接収を受ける。このため、機械・資材等は、市内各所の倉庫、岡村分工場、松本産業(協力工場)に搬出移転すると共に、本社事務所を臨時に旧海仁会事務所跡に移した。尚、この間同年10月には山形製作所も接収された。 当社
- 東京大空襲 一般
- 広島、長崎に原子爆弾投下 一般
- ポツダム宣言を受諾し、日本無条件降伏 一般
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