※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和26年(1951) | - | 【竜門社】文部省史料館に日本実業史博物館準備室資料を寄託する。機関誌『青淵』を渋沢青淵記念財団竜門社から発刊する。【渋沢敬三】追放解除。 | 渋沢関係略年譜 |
- | サンフランシスコ講和条約 | 一般 | |
- | 日米安全保障条約批准 | 一般 | |
- | 民間放送開始 | 一般 | |
昭和27年(1952) | - | 【渋沢敬三】貯蓄増強中央委員会会長に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
8月 | 航空機製造法の制定以来の業界の動向に鑑み、当社も航空機業界に名乗りを挙げるため、「日本ヘリコプター株式会社」設立を決定。 | 当社 | |
昭和28年(1953) | - | 【竜門社】懸賞論文の募集を開始する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 米国政府と乗用自動車修理役務の契約締結。 | 当社 | |
1月 | 念願の航空機製造会社として再建するため「日本飛行機株式会社再建研究委員会」(委員長有坂亮平顧問)を設置。 | 当社 | |
7月 | 商号を「新日本飛行機株式会社」と変更し、米国海軍と航空機修理契約を締結。 | 当社 | |
- | 保安庁第1次防衛力整備5ヶ年計画を発表 | 一般 | |
- | NHKテレビ放送開始 | 一般 | |
昭和29年(1954) | - | 【竜門社】渋沢栄一伝記資料刊行会を組織し、『渋沢栄一伝記資料』全58巻の編集を開始する。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 杉田工場第32号航空機工場、開所式挙行。 | 当社 | |
4月 | 子安工場を横浜市金沢区野島町に移転し、追浜工場と改称。 | 当社 | |
8月 | 米国極東海軍航空機パワーリカバリータービン修理契約締結。 | 当社 | |
- | 海上幕僚監部航空機SNJ改修契約締結。この契約を通じて、当社の航空機修理事業は米軍のみならず、防衛庁との関係を将来に結ぶ端緒を開き得たのである。 | 当社 | |
昭和30年(1955) | - | 【竜門社】渋沢栄一伝記資料刊行会、『渋沢栄一伝記資料』第1巻を刊行する。 | 渋沢関係略年譜 |
12月 | 神奈川県大和市の米海軍厚木基地隣接の地に厚木工場を開設。 | 当社 | |
- | 神武景気 | 一般 | |
- | 横浜みなと祭開幕 | 一般 | |
- | 三沢で国体開会 | 一般 | |
- | 家庭電化時代始まる | 一般 | |
昭和31年(1956) | - | 【竜門社】創立70周年記念総会を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 航空機製造事業法による航空機修理事業許可を受ける。 | 当社 | |
2月 | 厚木工場の開設に伴い、米海軍との間にFJ-2オーバーホール契約を締結。更に同月14日には、海幕横須賀地方総監部とTBM改修契約も締結。 | 当社 |