※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和48年(1973) | - | 【竜門社】国分隼人支部開設。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 群馬県高崎市問屋町2丁目1番7号に高崎出張所を開設。 | 第2期 戦後時代(昭和21年~昭和52年) | |
5月 | 一億円の増資により、資本金は四億円となり、同時に当社の株式を大阪証券取引所市場第二部へ上場した。 | 第2期 戦後時代(昭和21年~昭和52年) | |
10月 | 本社工場南側隣接用地4,257m2を買収した。 | 第2期 戦後時代(昭和21年~昭和52年) | |
11月 | 八、〇〇〇万円の増資により、資本金は四億八、〇〇〇万円となる。 | 第2期 戦後時代(昭和21年~昭和52年) | |
11月 | 枚岡工場東側隣接用地1,298m2を買収した。 | 第2期 戦後時代(昭和21年~昭和52年) | |
昭和49年(1974) | - | 【竜門社】西園寺実が理事長に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
10月 | 米国シカゴ市へ、東洋一を誇る地上高40mのはしご付消防車を輸出し、国産はしご付消防車の優秀性は米国の人々を驚愕せしめ、広く名声を高揚した。 | 第2期 戦後時代(昭和21年~昭和52年) | |
11月 | 一億二、〇〇〇万円の増資により、資本金は六億円となる。 | 第2期 戦後時代(昭和21年~昭和52年) | |
昭和50年(1975) | - | 【竜門社】栃波支部開設。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 福山出張所を廃止し、広島市宇品御幸1丁目14番10号に広島出張所を開設。 | 第2期 戦後時代(昭和21年~昭和52年) | |
4月 | 福岡市博多区博多駅南5丁目10番17号に鉄筋コンクリート造り3階建、延べ面積893m2の福岡営業所を新築、移転した。 | 第2期 戦後時代(昭和21年~昭和52年) | |
7月 | 業績の向上に伴い本社社屋が狭隘となったので、地下1階、地上4階建、延べ面積1,209m2の拡張増築工事が竣工した。 | 第2期 戦後時代(昭和21年~昭和52年) | |
8月 | エスコートボート用スクアート(進路警戒船)の第1号船を製作、東京曳船株式会社へ納入した。 | 第2期 戦後時代(昭和21年~昭和52年) | |
9月 | 藤井社長夫妻は米国ラスベガス市で開催の、第102回国際消防長会議(I.A.F.C.)の招聘により同会議へ出席と製品出品のため渡米。同会場の展示会に40mのはしご付消防車を出品、好評を博した。さらに同車販路拡大のためシカゴ、ロサンゼルス、モントリオール、バンクーバー、カルガリーなど各主要都市を歴訪し、9月29日帰国した。 | 第2期 戦後時代(昭和21年~昭和52年) | |
11月 | 六、〇〇〇万円の増資により、資本金は六億六、〇〇〇万円となる。 | 第2期 戦後時代(昭和21年~昭和52年) | |
12月 | 電源照明車の第1号車を製作し、名古屋市消防局へ納入した。 | 第2期 戦後時代(昭和21年~昭和52年) | |
昭和51年(1976) | - | 【竜門社】熊本支部開設。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 千葉県成田市東町169番地の1に千葉出張所を開設。 | 第2期 戦後時代(昭和21年~昭和52年) | |
6月 | 藤井社長は、6月22日オーストラリアヘの40mはしご付消防車納入と販路拡大のため、アデレードなど主要都市を歴訪し、7月5日帰国した。 | 第2期 戦後時代(昭和21年~昭和52年) | |
11月 | 六、六〇〇万円の増資により、資本金は七億二、六〇〇万円となる。 | 第2期 戦後時代(昭和21年~昭和52年) | |
11月 | 海外における製品の市場確保となお一層の飛躍のため、シンガポールにモリタシンガポールPTE.LTD.を設立した。 | 第2期 戦後時代(昭和21年~昭和52年) | |
昭和52年(1977) | - | 【竜門社】第172回会員総会を飛鳥山にて開催。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 本社工場南側隣接地内に敷地面積1,755m2、延べ面積1,080m2の大気汚染防止施設を具備した近代的環境保全塗装工場を新設した。 | 第2期 戦後時代(昭和21年~昭和52年) | |
3月 | 九、四〇〇万円の増資により、資本金は八億二、〇〇〇万円となる。 | 第2期 戦後時代(昭和21年~昭和52年) |