※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治29年(1896) | - | 【渋沢栄一】日本精糖株式会社創立・取締役。東京興信所創立、評議員。東京銀行集会所会長。東京印刷株式会社設立・相談役。東洋汽船株式会社創業、監査役。東京建物株式会社創立発起人。第一国立銀行が営業満期により株式会社第一銀行となる。引続き頭取。汽車製造合資会社設立・創立委員(後に監査役)。北越石油株式会社創業・相談役。日本勧業銀行設立委員。〔56歳〕【渋沢敬三】父・渋沢篤二、母・敦子の長男として都内深川に生まる。 | 渋沢関係略年譜 |
4月6日 | 第1回オリンピック、アテネで開催(13か国285名参加) | 業界・一般 | |
5月1日 | 和田嘉衡、和田計器製作所を創設//所在地東京市小石川区原町120番地(現東京都文京区白山4-18~19) | 経営・組織 | |
5月1日 | 圧力計・真空計等の製造開始 | 技術・生販 | |
- | 明治政府、工業の発展策として欧米の工業の導入を図り機械製作に意を注ぐ | 業界・一般 | |
明治30年(1897) | - | 【渋沢栄一】澁澤倉庫部開業、営業主(後に澁澤倉庫株式会社発起人)。日本女子大学校創立委員会計監督(後に校長)。十勝開墾合資会社業務担当社員。広島水力電気株式会社創立、取締役会長。渋沢家洲崎養魚場開設。 〔57歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月1日 | 金本位制実施、戦後経済恐慌 | 業界・一般 | |
- | 回転計の製造開始 | 技術・生販 | |
明治31年(1898) | - | 【渋沢栄一】浅野セメント合資会社監査役。韓国視察、韓国皇帝に謁見。王子製紙株式会社取締役会長を辞す(後に相談役)。〔58歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 動力計(和田式指圧器等〉の製造開始 | 技術・生販 | |
明治32年(1899) | - | 【渋沢栄一】衆議院議員選挙法改正規制同盟会会長。福田会名誉顧問。大蔵省より株式会社北海道拓殖銀行設立委員に任命。京仁鉄道合資会社設立、取締役社長。銀行倶楽部委員。飛鳥山邸(曖依村荘)に茶室・無心庵竣工。 〔59歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月1日 | 新商法施行 | 業界・一般 | |
7月17日 | 改正条約実施(外国人の内地雑居許可) | 業界・一般 | |
- | 和田式指圧器(スチームエンジンの馬力を測定する)完成、海軍に多数納入 | 技術・生販 | |
- | 温度計類の製造開始 | 技術・生販 | |
明治33年(1900) | - | 【渋沢栄一】京釜鉄道株式会社創立委員長。日本興業銀行設立委員(後に監査役)。男爵を授けられる。黒須銀行相談役。〔60歳〕【竜門社】青淵先生の還暦祝賀として『青淵先生六十年史 一名近世実業発達史』を刊行、青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 北清事変 | 業界・一般 | |
- | 水銀/液体式寒暖計完成 | 技術・生販 | |
明治34年(1901) | - | 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月16日 | 大阪に金融恐慌勃発、全国に波及 | 業界・一般 | |
7月23日 | 官営・八幡製鉄火入れ、軌道にのる | 業界・一般 | |
- | 海軍の指定工場となる | 経営・組織 | |
- | 航海計器の研究に着手 | 技術・生販 | |
- | 磁気羅針儀、測深儀その他航海用器具の製造に着手 | 技術・生販 | |
明治35年(1902) | - | 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月30日 | 日英同盟調印 | 業界・一般 | |
5月9日 | 合名会社東京計器製作所設立//資本金2万円 | 経営・組織 |