※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治35年(1902) | - | 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 各種航海用テレグラフの研究および製造開始 | 技術・生販 | |
- | 東京帝大 横田、末広両博士の指導の下に振動計、振動分解器、末広式トーションメータ、等速指示器等完成 | 技術・生販 | |
明治36年(1903) | - | 【渋沢栄一】東宮御慶事奉祝会副会長・会計監督。インフルエンザ罹患、喘息を併発。京釜鉄道株式会社理事。日印協会創立・会員(後に会頭)。〔63歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
12月17日 | ライト兄弟の初飛行成功 | 業界・一般 | |
- | 圧力計および回転計用試験器等の製造に着手 | 技術・生販 | |
明治37年(1904) | - | 【渋沢栄一】風邪をこじらせ長期に静養。韓国興業株式会社設立、監督。〔64歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月10日 | 軍需工場に指定される | 経営・組織 | |
2月10日 | 日露戦争の宣戦布告 | 業界・一般 | |
5月8日 | 品川―川崎間京浜急行電鉄開通 | 業界・一般 | |
- | 電気計器の研究および製造開始//電流計、電圧計、電力計、抵抗測定器等 | 技術・生販 | |
明治38年(1905) | - | 【渋沢栄一】韓国皇帝より勲一等太極章。移転した養育院感化部井之頭学校と改称、開校式。徳川慶喜・伊藤博文らを飛鳥山邸(曖依村荘)に招待、茶室・無心庵にて午餐会。〔65歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月16日 | 実用新案法公布(7.1施行) | 業界・一般 | |
9月5日 | 日露講和条約調印 | 業界・一般 | |
- | 軍需品は国産品優先の政府方針により、多量受注 | 技術・生販 | |
明治39年(1906) | - | 【渋沢栄一】大日本麦酒株式会社設立、取締役。南満州鉄道株式会社設立委員。京阪電気鉄道会社創立・創立委員長(後に相談役)。大日本製糖株式会社設立、相談役。名古屋電力株式会社創立・相談役。東海倉庫株式会社創立・相談役。明治製糖創立・相談役。〔66歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月1日 | 創立10周年記念大視賀会を逗子養神亭で開催 | 経営・組織 | |
10月1日 | 鉄道国有法施行 | 業界・一般 | |
- | 光学計器に関する研究、製作部新設 | 経営・組織 | |
- | 望遠鏡等観測鏡類の製造を開始 | 技術・生販 | |
- | 艦船用電気テレグラフの製造 | 技術・生販 | |
- | プリズム、レンズの研磨開始 | 技術・生販 | |
明治40年(1907) | - | 【渋沢栄一】帝国劇場会社創立・取締役会長。品川白煉瓦株式会社相談役。日清汽船株式会社創立、取締役。日本皮革株式会社創立、相談役。合資会社沖商会有限責任社員・監査役。帝国製麻株式会社創立、相談役。東明火災海上保険株式会社創立、取締役。〔67歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月19日 | 帝国国防方針(国防に要する兵力量)制定//八八艦隊構想 | 業界・一般 | |
7月 | 東京勧業博覧会に羅針儀他各種計器を出品し、金牌、銀牌受賞 | 技術・生販 | |
- | 日露戦争後恐慌 | 業界・一般 |