※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正6年(1917) | - | 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月25日 | 東京市麹町区八重洲町1丁目中央亭にて発起人総会を開き次の決議をした。日本光学工業株式会社創立 資本金200万円、本店東京市小石川区原町120東京計器製作所内、和田嘉衡取締役就任(1944.11.15退任)、同日取締役社長就任(1918.6.3まで)、曽根増吉取締役就任(1926.11.30まで)、同日専務取締役就任(1926.7.3退任)、丸田秀実取締役就任(1922.1.20退任)、今井重吉取締役就任(1926.11.30退任)、木下重松監査役就任(1919.11.29退任) | 日本光学のうごき | |
8月14日 | 当社設立の登記完了 | 日本光学のうごき | |
8月16日 | 東京計器製作所工場の一部を買収し、機械その他諸設備を引継ぎ営業開始 | 日本光学のうごき | |
8月23日 | 岩城硝子製作所工場の一部を買収し、機械その他諸設備を引継ぎ営業開始 新工場建設のため東京府荏原郡大井町に用地を買収 | 日本光学のうごき | |
9月12日 | 金輸出禁止 | 社会のうごき | |
9月25日 | 伊東久米蔵取締役就任(1920.7.14退任)、磯崎道二監査役就任(1927.5.31退任) | 日本光学のうごき | |
9月 | (下旬)上記買収地に木造鋸形平家工場の建設に着手 | 日本光学のうごき | |
11月7日 | ロシアに10月革命おこる | 社会のうごき | |
12月13日 | 東京市芝区三田豊岡町2 合資会社藤井レンズ製造所と同社工場全部を買収し、営業一切の譲渡契約を締結 | 日本光学のうごき | |
12月17日 | 合併の目的にて藤井レンズ製作所をもって東京光学工業株式会社(資本金100万円)を設立 | 日本光学のうごき | |
大正7年(1918) | - | 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 藤井レンズ製造所の引継ぎを終り東京支店として営業開始 | 日本光学のうごき | |
2月1日 | 小石川区原町120の本店を荏原郡大井町5447に移転 大井第1工場竣工し、東京計器製作所工場内にあった当社の諸設備、諸機械を大井に移転 | 日本光学のうごき | |
4月 | (中旬)大井第2工場竣工し、岩城硝子製造所内にあった当社の諸機械、諸設備を大井に移転 | 日本光学のうごき | |
4月 | (下旬)光学硝子の自給自足のため、第2工場に試験炉の築造に着手 | 日本光学のうごき | |
5月1日 | 東京光学工業株式会社を合併 資本金300万円に増資 | 日本光学のうごき | |
6月3日 | 武田秀雄取締役就任(1933.12.14退任)、同日取締役会長就任(1926.7.3まで)、山本長方取締役就任(1920.11.29退任)、藤井竜蔵取締役就任(1945.11.15退任)、藤井光蔵取締役就任(1942.12.17退任) | 日本光学のうごき | |
8月3日 | 米騒動富山県下におこり、全国に拡大 | 社会のうごき | |
11月11日 | ドイツ降伏 第1次世界戦争終る | 社会のうごき | |
大正8年(1919) | - | 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月28日 | ベルサイユ講和条約調印 | 社会のうごき | |
7月20日 | 取締役藤井竜蔵は、光学工業視察とドイツ人技師招聘のため独国に出張 | 日本光学のうごき |