"博覧会"が書かれている年表項目はハイライトされています。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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安政2年(1855) | 5月 | パリで国際博覧会開催される。(~11月) | 社会一般事項 |
安政6年(1859) | 5月26日 | イギリス駐日総領事オールコックが来日し、在日中に日本の美術・工芸品を蒐集してロンドン博覧会に出品する。 | 社会一般事項 |
文久2年(1862) | - | この年、ロンドン万国博覧会開催される。〔出典:山本光雄著『日本博覧会史』〕 | 社会一般事項 |
慶応3年(1867) | 2月27日 | パリ万国博覧会開催。日本から油絵・浮世絵・銀象牙細工の小道具・青銅器・磁器・水晶細工等を出品する。 | 社会一般事項 |
慶応4年(1868) | 5月 | ドイツ人ワグネルが長崎に来日する。〔出典:博覧会出版協会発行『ワグネル伝』(植田豊橘編)〕 | 社会一般事項 |
明治3年(1870) | 4月 | 佐賀藩主の委託を受け、ワグネルが肥前有馬で釉下彩色顔料の施法を試み、石炭窯を築いて試焼する。〔出典:博覧会出版協会発行『ワグネル伝』(植田豊橘編)〕 | 社会一般事項 |
明治4年(1871) | 11月 | 名古屋博覧会が総見寺で開催される。〔出典:山本光雄著『日本博覧会史』〕 | 社会一般事項 |
- | ワグネルが大学南校(東京帝国大学の前身)の御雇い教師となる。〔出典:博覧会出版協会発行『ワグネル伝』(植田豊橘編)〕 | 社会一般事項 | |
明治5年(1872) | 3月10日 | 湯島聖堂で博物館主催の博覧会が開かれ、古美術・油絵が展示される。 | 社会一般事項 |
3月10日 | 第一回京都博覧会開催される。(~5・30)〔出典:山本光雄著『日本博覧会史』〕 | 社会一般事項 | |
- | この年、ワグネルが大学東校(東京医科大学の前身)に転任し、2月にはウィーン万国博覧会御用掛となる。〔出典:博覧会出版協会発行『ワグネル伝』(植田豊橘編)〕 | 社会一般事項 | |
明治6年(1873) | 5月 | ウィーン万国博覧会開催。(~11・2)名古屋七宝会社出品の銅胎七宝花瓶が一等銅賞牌を受ける。〔出典:愛知県実業教育振興会発行『愛知県の特殊産業の由来』上巻〕 | 社会一般事項 |
明治7年(1874) | - | この頃、ドイツ人ベーア(アーレンス商会員)の依嘱により、ワグネルが七宝製造の原料を調査・研究する。〔出典:博覧会出版協会発行『ワグネル伝』(植田豊橘編)〕 | 社会一般事項 |
明治8年(1875) | - | メルボルン万国博覧会開催される。〔出典:山本光雄著『日本博覧会史』〕 | 社会一般事項 |
- | シドニー世界博覧会開催される。〔出典:山本光雄著『日本博覧会史』〕 | 社会一般事項 | |
- | サンチャゴ・ヴァルパライソ万国博覧会開催される。〔出典:山本光雄著『日本博覧会史』〕 | 社会一般事項 | |
明治9年(1876) | - | この年、ワグネルが政府から、アメリカのフィラデルフィア万国博覧会事務を嘱託される。〔出典:博覧会出版協会発行『ワグネル伝』(植田豊橘編)〕 | 社会一般事項 |
- | 名古屋七宝会社がフィラデルフィア万国博覧会に出品する。 | 社会一般事項 | |
明治10年(1877) | 8月21日 | 第一回内国勧業博覧会が上野で開催。(~11・30)入場者総数四五万四〇〇〇人余。この博覧会で、名古屋七宝会社出品の籠目七宝花瓶が龍紋賞牌を、工人塚本甚右衛門が鳳紋賞牌を受ける。〔出典:愛知県実業教育振興会発行『愛知県の特殊産業の由来』上巻〕 | 社会一般事項 |
明治11年(1878) | 5月1日 | パリ万国博覧会開催。(~11月)この博覧会において、金牌賞状を浅野治兵衛・山口茂七・原不二夫が、金牌・銀牌を名古屋七宝会社が、銅牌を岡谷惣助がそれぞれ受ける。 | 社会一般事項 |