※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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嘉永元年(1848) | - | 【渋沢栄一】このころ実名を美雄とする。後に伯父渋沢誠室の命名で栄一と改める。〔8歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 甚兵衛40歳 | 安藤家関係事項 | |
- | この年、伊達千広著『大勢三転考』でぎる。 | 社会一般事項 | |
安政2年(1855) | 2月19日 | 豊太郎没する。享年五歳。〔慈春童子〕〔出典:名古屋市養念寺所蔵過去帳〕・〔出典:安藤家安置位牌〕 | 安藤家関係事項 |
5月 | パリで国際博覧会開催される。(~11月) | 社会一般事項 | |
- | 甚兵衛47歳 | 安藤家関係事項 | |
安政3年(1856) | - | 【渋沢栄一】父の代理で領主安部摂津守の岡部の陣屋で用金の命を受ける。代官が傲慢で栄一を侮蔑、圧制に痛憤し封建の弊に強烈な反感を持つ。〔16歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月7日 | 前田松吉(後の庄七、安藤重兵衛、重左衛門)生まれる。〔出典:安藤家所蔵「我家の記録」〕 | 安藤家関係事項 | |
10月 | 林庄五郎が梶佐太郎から七宝焼技術を伝授されるに際し、他伝せぬ誓約書を書く。〔出典:七宝町発行『七宝町史』〕 | 社会一般事項 | |
- | 甚兵衛48歳 | 安藤家関係事項 | |
安政5年(1858) | - | 【渋沢栄一】従妹尾高千代(ちよ、尾高惇忠の妹)と結婚。〔18歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月7日 | フランス人シャシロンが来日して、在日中に日本の美術・工芸品を購入し、帰国後にパリで紹介する。 | 社会一般事項 | |
- | 甚兵衛50歳 | 安藤家関係事項 | |
安政6年(1859) | 5月26日 | イギリス駐日総領事オールコックが来日し、在日中に日本の美術・工芸品を蒐集してロンドン博覧会に出品する。 | 社会一般事項 |
- | 甚兵衛51歳 | 安藤家関係事項 | |
文久2年(1862) | 7月11日 | 村田屋重兵衛(甚兵衛)没する。享年五四歳。〔慈教〕〔出典:名古屋市養念寺所蔵過去帳〕・〔出典:安藤家安置位牌〕 | 安藤家関係事項 |
9月11日 | 幕府最初の海外留学生一一人がオランダへ向かう。 | 社会一般事項 | |
- | 甚兵衛54歳 善兵衛32歳 | 安藤家関係事項 | |
- | この年、ロンドン万国博覧会開催される。〔出典:山本光雄著『日本博覧会史』〕 | 社会一般事項 | |
慶応元年(1865) | - | 【渋沢栄一】一橋家歩兵取立御用掛を命ぜられ領内を巡廻。〔25歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 幕府のロシア留学生六人が函館を出発する。 | 社会一般事項 | |
11月7日 | 安藤あい生まれる。〔出典:安藤家安置位牌〕 | 安藤家関係事項 | |
- | 善兵衛33歳 | 安藤家関係事項 | |
慶応3年(1867) | - | 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月27日 | パリ万国博覧会開催。日本から油絵・浮世絵・銀象牙細工の小道具・青銅器・磁器・水晶細工等を出品する。 | 社会一般事項 |