※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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慶応3年(1867) | - | 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月2日 | みつ没する。享年五八歳。〔貞教〕〔出典:名古屋市養念寺所蔵過去帳〕・〔出典:安藤家安置位牌〕 | 安藤家関係事項 | |
12月9日 | 王政復古の号令でる。 | 社会一般事項 | |
- | 善兵衛34歳 | 安藤家関係事項 | |
慶応4年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月14日 | 天皇が五事を誓う。(五箇条の誓文) | 社会一般事項 | |
5月 | ドイツ人ワグネルが長崎に来日する。〔出典:博覧会出版協会発行『ワグネル伝』(植田豊橘編)〕 | 社会一般事項 | |
明治元年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 善兵衛35歳 | 安藤家関係事項 | |
明治2年(1869) | - | 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月22日 | 新政府が外国官に通商司を設ける。 | 社会一般事項 | |
12月23日 | 奥村弥吉郎(安藤すずの父)没する。〔釈顕意〕〔出典:安藤家安置位牌〕 | 安藤家関係事項 | |
- | 善兵衛36歳 | 安藤家関係事項 | |
- | この年、ドイツ人アーレンスがアーレンス商会を創設する。 | 社会一般事項 | |
明治3年(1870) | - | 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 佐賀藩主の委託を受け、ワグネルが肥前有馬で釉下彩色顔料の施法を試み、石炭窯を築いて試焼する。〔出典:博覧会出版協会発行『ワグネル伝』(植田豊橘編)〕 | 社会一般事項 | |
5月11日 | 前田まつ(後の安藤重左衛門の母)没する。〔五雲清光信女〕〔出典:安藤家安置位牌〕 | 安藤家関係事項 | |
6月3日 | 前田甚助(後の安藤重左衛門の父)没する。〔禅学道林信士〕〔出典:安藤家安置位牌〕 | 安藤家関係事項 | |
9月 | 大学南校に物産局仮役所が設置される。(翌年9月に文部省博物局となる) | 社会一般事項 | |
- | 善兵衛37歳 | 安藤家関係事項 | |
- | この年、安藤ふさ生まれる。 | 安藤家関係事項 | |
明治4年(1871) | - | 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月 | 名古屋博覧会が総見寺で開催される。〔出典:山本光雄著『日本博覧会史』〕 | 社会一般事項 | |
- | 善兵衛38歳 | 安藤家関係事項 | |
- | この年、岡谷惣助が酒井佐兵衛・柴田久兵衛等とそれぞれ三〇〇〇円宛出資して名古屋七宝会社を鉄砲町に設立し、塚本甚右衛門を傭聘する。〔出典:七宝町発行『七宝町史』〕・〔出典:名古屋市発行『名古屋市史』〕 | 社会一般事項 | |
- | ワグネルが大学南校(東京帝国大学の前身)の御雇い教師となる。〔出典:博覧会出版協会発行『ワグネル伝』(植田豊橘編)〕 | 社会一般事項 |