※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治5年(1872) | - | 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月10日 | 湯島聖堂で博物館主催の博覧会が開かれ、古美術・油絵が展示される。 | 社会一般事項 | |
3月10日 | 第一回京都博覧会開催される。(~5・30)〔出典:山本光雄著『日本博覧会史』〕 | 社会一般事項 | |
- | 善兵衛39歳 | 安藤家関係事項 | |
- | この年、ワグネルが大学東校(東京医科大学の前身)に転任し、2月にはウィーン万国博覧会御用掛となる。〔出典:博覧会出版協会発行『ワグネル伝』(植田豊橘編)〕 | 社会一般事項 | |
明治6年(1873) | - | 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 安藤かぎ生まれる。〔出典:安藤家安置位牌〕 | 安藤家関係事項 | |
5月 | ウィーン万国博覧会開催。(~11・2)名古屋七宝会社出品の銅胎七宝花瓶が一等銅賞牌を受ける。〔出典:愛知県実業教育振興会発行『愛知県の特殊産業の由来』上巻〕 | 社会一般事項 | |
- | 善兵衛40歳 | 安藤家関係事項 | |
明治7年(1874) | - | 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 善兵衛41歳 | 安藤家関係事項 | |
- | この年、名古屋七宝会社を酒井佐兵衛・塚本甚右衛門が退社し、村松彦七が入社する。〔出典:愛知県実業教育振興会発行『愛知県の特殊産業の由来』上巻〕 | 社会一般事項 | |
- | この頃、ドイツ人ベーア(アーレンス商会員)の依嘱により、ワグネルが七宝製造の原料を調査・研究する。〔出典:博覧会出版協会発行『ワグネル伝』(植田豊橘編)〕 | 社会一般事項 | |
- | 並河靖之が七宝焼を始める。〔出典:七宝町発行『七宝町史』〕 | 社会一般事項 | |
明治8年(1875) | - | 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 善兵衛42歳 | 安藤家関係事項 | |
- | この年、名古屋七宝会社が外国為替を扱うようになる。 | 社会一般事項 | |
- | メルボルン万国博覧会開催される。〔出典:山本光雄著『日本博覧会史』〕 | 社会一般事項 | |
- | シドニー世界博覧会開催される。〔出典:山本光雄著『日本博覧会史』〕 | 社会一般事項 | |
- | サンチャゴ・ヴァルパライソ万国博覧会開催される。〔出典:山本光雄著『日本博覧会史』〕 | 社会一般事項 | |
- | この頃、アーレンス商会が七宝の製造をすることになり、東京の亀戸に工場を設置して、塚本貝助を工場長に招聘する。 | 社会一般事項 | |
明治9年(1876) | - | 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月2日 | 水野きん(安藤武四郎の母)生まれる。 | 安藤家関係事項 | |
9月3日 | 水野銕造(安藤武四郎の父)生まれる。 | 安藤家関係事項 | |
9月15日 | 安藤重三郎(後の重寿、重兵衛)生まれる。 | 安藤家関係事項 |