※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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嘉永6年(1853) | - | 【渋沢栄一】家業の畑作、養蚕、藍葉の買入、藍玉製造販売に精励。〔13歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月8日 | ペリー艦隊、浦賀に入港[陰暦06月03日] | 業界・一般 | |
安政6年(1859) | 3月8日 | 大塚岩次郎が生まれる[陰暦02月04日] | 大塚製靴 |
安政7年(1860) | 3月24日 | 桜田門外の変[陰暦03月03日] | 業界・一般 |
慶応3年(1867) | - | 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月10日 | 大政奉還[陰暦10月15日] | 業界・一般 | |
明治元年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月23日 | 明治と改元し、一世一元制を定める[陰暦09月08日] | 業界・一般 | |
明治2年(1869) | - | 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 佐倉藩で大参事西村茂樹の指導により士族授産のため、製靴、製茶、織物、牧畜の業が興る[陰暦05月99日] | 業界・一般 | |
明治3年(1870) | - | 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月15日 | 西村勝三、築地入舟町に伊勢勝造靴場を開く[陰暦03月15日] | 業界・一般 | |
- | 西洋沓伝習所が設立される[陰暦07月99日] | 業界・一般 | |
明治4年(1871) | - | 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月17日 | 弾直樹、チアルレス・ヘニンゲル(アメリカ人)を雇い入れ、滝野川製革所を設置(茶利革を兵部省に供覧)[陰暦03月28日] | 業界・一般 | |
5月22日 | 西洋沓伝習所、洋式製革を開始[陰暦04月04日] | 業界・一般 | |
- | 大塚岩次郎、上京。旧藩主堀田正倫から開業志望を賞されて、小判1枚を受ける[陰暦11月99日] | 大塚製靴 | |
- | この年 大塚隊之丞、横浜弁天通に靴店を開く | 大塚製靴 | |
明治5年(1872) | - | 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月12日 | 大塚岩次郎、芝露月町24番地に靴店を開業[陰暦02月04日] | 大塚製靴 | |
10月14日 | 新橋―横浜間鉄道開業式[陰暦09月12日] | 業界・一般 | |
12月12日 | 大礼服・通常の礼服が制定され、宮中の正服が洋服となる[陰暦11月12日] | 業界・一般 | |
明治10年(1877) | - | 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月30日 | 西南戦争始まる | 業界・一般 | |
4月 | 伊勢勝造靴場、旧藩主堀田家の援助により家令依田柴浦とともに依田西村組として再出発 | 業界・一般 | |
11月20日 | 第1回内国勧業博覧会に出品して賞状および花紋賞牌を受ける | 大塚製靴 | |
明治11年(1878) | - | 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月22日 | 郡区町村編制法・府県会規則・地方税規則(三新法)を定める | 業界・一般 | |
- | この年 大塚岩次郎、「鼻しん」と「鼻飾り」を考案 | 大塚製靴 |