オーロラ(株)『The course of hundred years : 1896-1996』([1996])

"林光"が書かれている年表項目はハイライトされています。

表示切替
月日 事項 年表種別
大正4年(1915) 8月 創業者 若林吉之助死亡(50才) 若林光造が若林商店を継承 当社事項
昭和10年(1935) - 若林光造 東京洋傘肩掛毛布問屋同業組合副組合長となる 当社事項
昭和11年(1936) - 株式会社若林商店として発足、資本金20万円 社長 若林光造 他社員29名 当社事項
昭和12年(1937) - 社長 若林光造 日本肩掛卸商業組合連合会副理事長となる 当社事項
- 社長 若林光造 東京洋傘肩掛卸商業組合理事長となる 当社事項
- 社長 若林光造 商工省価格形成委員会洋傘ショール専門委員となる 当社事項
昭和14年(1939) - この秋、社長 若林光造 東京洋傘卸商業組合理事長となる 当社事項
昭和16年(1941) 10月 社長 若林光造 布帛製品中央配給統制(株)の東京支配人に商工省より任命される 当社事項
昭和18年(1943) - この年、社長 若林光造 日本洋傘商業組合の理事長となる 当社事項
昭和19年(1944) - この年、社長 若林光造 全日本洋傘統制組合の理事長となる 当社事項
昭和20年(1945) 3月 硫黄島の日本軍が全滅し、社長 若林光造の長男雄造が戦死 当社事項
昭和22年(1947) 3月11日 東京都洋傘工業協同組合創立 社長 若林光造 理事長となる 当社事項
昭和23年(1948) 3月25日 全国洋傘協議会設立、社長 若林光造相談役となる 当社事項
3月 貞明皇太后(昭和天皇母君)当社山梨県下吉田町工場に行啓、社長 若林光造が洋傘生産行程を説明する 当社事項
- この年、洋傘統制組合解散する 社長 若林光造 東京洋傘ショール商工協同組合理事長となる 当社事項
昭和24年(1949) 2月7日 東京都洋傘工業協同組合理事長を社長 若林光造 健康上の理由により辞任 当社事項
昭和27年(1952) - この年、社長 若林光造 苦心のナイロン洋傘の国産化(紳士傘)、3年間の研究が実を結び日本の洋傘業界注目する(都内の一部に試験的に販売する) 当社事項
昭和30年(1955) 4月 社長 若林光造 洋傘業界人として戦後初のヨーロッパ・アメリカ視察旅行 当社事項
昭和40年(1965) 9月25日 若林光造 会長に就任する 当社事項
10月1日 会長 若林光造、東京都知事賞の表彰を受ける 当社事項
PAGE TOP