※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正7年(1918) | - | 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 勝精氏渡米。 | ||
6月 | 菊地久吉氏、米国より帰朝。 | ||
7月19日 | 菊地久吉氏、萩工業所創立。 | ||
7月24日 | 菊地東陽氏、「紐育新報」紙上に「感光性乳剤の製法に就て」と題して所見を発表した。 | ||
大正8年(1919) | - | 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 菊地東陽。勝精の両氏、故国日本に写真工業会社設立のためアメリカより帰朝。四月十五日、横浜入港のコレア丸にて十八年ぶりに故国の地を踏んだ。 | ||
4月22日 | 菊地東陽、菊地久吉の両氏は相携へて郷里山形市に帰郷した。山形商業学校に於て「米国の話」と題して一場の講演あり、又諏訪公園に於ける帰朝歓迎会に臨んだ。 | ||
5月19日 | 「菊地東陽氏歓迎会」東京写真材料業者及写真師共同主催、於上野精養軒。 | ||
5月23日 | 「東陽氏発明乳剤実験会」於神田区美土代町山本章雄氏経営山本写真館。 | ||
5月 | 菊地東陽氏の帰朝談「写真新報」に出づ。 | ||
6月19日 | 「勝伯菊地東陽氏感光乳剤実験会」於華族会館。 | ||
7月 | 首脳者間に愈会社創立の議進行す。 | ||
8月19日 | 赤坂区氷川町勝伯邸に於て会社創立に関する最後の決定会議があった。 | ||
8月24日 | 渡辺恒太郎氏、会社の定款及設立趣意書等を作製した。この日オリエンタル写真工業株式会社の社名が決定した。 | ||
9月3日 | 始めて株金の払込があった。 | ||
9月22日 | オリエンタル写真工業株式会社創立。創立総会を赤坂区氷川町四番地勝伯邸に招集した。資本全弐拾万円である。 | ||
9月22日 | 勝精、菊地東陽の両氏間に感光乳剤発明権買収に関する契約を為した。 | ||
9月27日 | 東京区裁判所に会社設立の登記を為した。 | ||
10月6日 | 菊地東陽氏、岡山県主催開西四県聯合写真師大会に出席し講演した。翌日採光法の実験を行った。 | ||
10月9日 | 菊地東陽氏、大阪京町堀若林本館の大阪写真会主催講演会に臨んだ。 | ||
10月15日 | 臨時株主総会開催。於赤坂本社、資本金四十万円を増額して資本総額金六十万円とすること並に定款第六条を改正する事を決議した。 |