※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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慶応4年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月3日 | 旧幕府軍、鳥羽・伏見の戦いで敗れる(戊辰戦争起こる) | 業界*・一般事項 | |
2月12日 | 徳川慶喜、上野寛永寺(大慈院)に閉居 | 業界*・一般事項 | |
2月23日 | 旧幕臣、彰義隊を結成し上野を占拠 | 業界*・一般事項 | |
4月11日 | 江戸城開城。徳川慶喜、水戸に退隠 | 業界*・一般事項 | |
5月15日 | 新政府軍、上野の彰義隊を攻撃して破る | 業界*・一般事項 | |
5月24日 | 新政府軍、徳川家達を駿河府中(のちの静岡藩)に封ずる | 業界*・一般事項 | |
7月17日 | 江戸を東京と改める | 業界*・一般事項 | |
明治元年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月8日 | 明治と改元し、一世一元の制を制定 | 業界*・一般事項 | |
12月8日 | 静岡藩、沼津兵学校を設立(頭取・西周)し、掛川支寮(頭取・保田久成)を置く。のち、佐久間貞一、掛川支寮に入り保田久成に師事 | 業界*・一般事項 | |
明治2年(1869) | - | 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月13日 | 新政府、出版条例を制定 | 業界*・一般事項 | |
5月18日 | 五稜郭開城、榎本武揚ら降伏(戊辰戦争終結) | 業界*・一般事項 | |
- | *本木昌造、長崎興善町に活版伝習所(長崎製鉄所付属)を設立(明治4工部省所轄となり東京へ移り、同年11.22勧工寮活字局となる) | 業界*・一般事項 | |
明治3年(1870) | - | 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月3日 | 大教宣布の詔が出る | 業界*・一般事項 | |
3月 | *本木昌造、長崎に新町活版所、大阪に長崎新塾出張大阪活版所を設立 | 業界*・一般事項 | |
12月8日 | 陽其二・子安峻ら、『横浜毎日新聞』を創刊(最初の日刊新聞) | 業界*・一般事項 | |
12月 | 開拓使、移民規則を定めて北海道移住を奨励 | 業界*・一般事項 | |
明治4年(1871) | - | 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月14日 | 廃藩置県の詔書が出される | 業界*・一般事項 | |
- | (この年)サミュエル・スマイルズ著、中村正直(敬宇)訳『西国立志編』、静岡で刊行(~明治4.7) | 業界*・一般事項 | |
明治5年(1872) | - | 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月21日 | 『東京日日新聞』創刊(東京、日報社。現、『毎日新聞』) | 業界*・一般事項 | |
7月 | *平野富二、東京(神田佐久間町)に長崎新塾出張活版製造所(のちの平野活版製造所)を開設 | 業界*・一般事項 |