(株)ニッピ『ニッピ八十五年史. 上巻』(1992.04)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
慶応3年(1867) - 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 渋沢関係略年譜
12月9日 王政復古の大号令渙発、明治政府成立す 業界及一般
明治2年(1869) - 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 渋沢関係略年譜
6月17日 版籍奉還 業界及一般
7月8日 官制改革、民部兵部大蔵刑部宮内外部の六省を設置 業界及一般
明治3年(1870) - 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 渋沢関係略年譜
2月 西村勝三横浜居留スイス国領事に造靴参考品、機械、皮革を注文する 業界及一般
3月 西村勝三築地入舟町に伊勢勝製靴工場を設ける 業界及一般
4月 弾直樹洋製皮革御用を嘆願し、九月造兵庁の御用仰付けらる 業界及一般
7月 和歌山藩プロシヤ硝革工ウアルテ、(アドルフ・ルウボウスキ・ウアルテ)靴工ハイトケンペルの雇聘を願い許可される 業界及一般
10月 西村勝三、伊勢勝製靴工場に製革工場をもあわせ作り、フランス書により革の試作を始める 業界及一般
11月 西村勝三、清国人履製造方潘浩を雇入れる 業界及一般
明治4年(1871) - 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 渋沢関係略年譜
2月 弾直樹、アメリカ人革職教師チヤールスヘンニンゲルを招き雇う 業界及一般
4月4日 和歌山商会所、西洋靴製作及鞣革製法伝習所開業 業界及一般
4月 (下旬)王子滝野川反射炉あとに弾直樹の皮革製造伝習所、軍靴伝習所開業す 業界及一般
7月14日 廃藩置県 業界及一般
8月 弾直樹、皮革製造所洋製一枚仕上け造兵司へ供す 業界及一般
10月 弾の皮革製造所経営困難におちいり水町久兵衛の援助をうけ以後弾水町組と称す 業界及一般
11月 西村勝三、製革工場を向島須崎村に移しドイツ人ボスケに指導させる 業界及一般
明治5年(1872) - 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 渋沢関係略年譜
1月 弾水町組、浅草橋場に滝野川の製革製靴工場をうつす 業界及一般
3月 西村勝三、オランダ人レマルシャンを迎えて製靴指導せしむ//又築地入舟町に洋式革具製造所を開く、尚この年西村勝郎を欧米派遣、製革製靴事業視察 業界及一般
11月 太政官令にて宮中正服を洋服とする旨発表さる兵部省廃止、陸海軍両省設置 業界及一般
明治6年(1873) - 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 渋沢関係略年譜
3月 陸軍給与令制定、靴は一ヶ年に四足、乗馬隊は長靴、短靴合せて四足給与と決る 業界及一般
PAGE TOP