(株)ニッピ『ニッピ110年史』(2017.09)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治45年(1912) - 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 渋沢関係略年譜
7月30日 明治天皇崩御、「大正」に改元 社会一般
大正元年(1912) - 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 渋沢関係略年譜
9月 上海工場(上海南徐家匯)開設 当社
大正2年(1913) - 【渋沢栄一】伯剌西爾拓植株式会社創立準備委員。日本結核予防協会創立・副会頭(後に会頭)。中国興業株式会社(後の中日実業)創立、相談役。日本実業協会創立・会長。帝国飛行協会成立、評議員。〔73歳〕 渋沢関係略年譜
2月 守谷商会大阪支店調革部開設 当社
6月13日 陸軍海軍両省官制改正公布 社会一般
大正3年(1914) - 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 渋沢関係略年譜
7月28日 オーストリアがセルビアに宣戦布告、第一次世界大戦勃発 社会一般
10月 ロシアより革具兵器を大量受注(第1回目) 当社
- 東京大正博覧会へ底革出品、名誉大賞牌を受ける 当社
大正4年(1915) - 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 渋沢関係略年譜
5月 ロシアより革具兵器を大量受注(第2回目) 当社
12月4日 東京株式市場暴騰 社会一般
大正5年(1916) - 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
3月20日 アインシュタイン、一般相対性理論を定式化 社会一般
5月 ロシアより革具兵器を大量受注(第3回目) 当社
大正6年(1917) - 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 渋沢関係略年譜
4月6日 アメリカ、ドイツに宣戦布告 社会一般
10月 天津裕津製革股份有限公司の経営開始 当社
10月 調革およびキッド革の売上好調となる 当社
11月7日 ロシア革命によりソビエト政権誕生 社会一般
- 帽子ビン革などの販売開始 当社
大正7年(1918) - 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 渋沢関係略年譜
4月 上海工場、潭子湾街に移転 当社
8月3日 富山県で米騒動勃発、全国に波及 社会一般
10月 調革の売上大幅増 当社
11月11日 ドイツ、連合国と休戦協定調印、第一次世界大戦終結 社会一般
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