※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正13年(1924) | - | 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 | 渋沢関係略年譜 |
10月 | 軍備縮小により軍需革の注文減少 | 当社 | |
10月 | 大倉喜八郎が会長を退任、伊藤琢磨専務が会長に就任 | 当社 | |
大正14年(1925) | - | 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 | 渋沢関係略年譜 |
3月29日 | 普通選挙法成立 | 社会一般 | |
6月 | 上海での騒乱により上海工場3カ月間休業 | 当社 | |
大正15年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
2月1日 | ドイツ人技師エミール・ハッセ招聘、2年間ボックス研究 | 当社 | |
4月24日 | 独ソ友好中立条約調印 | 社会一般 | |
1926年 | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
12月25日 | 大正天皇崩御、「昭和」に改元 | 社会一般 | |
- | 由良商店、甲革類の販売代理店となる | 当社 | |
昭和2年(1927) | - | 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
12月30日 | 日本初の地下鉄開通(上野―浅草間) | 社会一般 | |
- | 1925年より価格を連続値下げ | 当社 | |
昭和4年(1929) | - | 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月24日 | ニューヨーク株式市場が大暴落、世界恐慌始まる | 社会一般 | |
- | アメリカ人技師トムソン招聘、色革研究 | 当社 | |
- | アメリカのカルマン社技師ウール・ウオース招聘、底革改良 | 当社 | |
昭和5年(1930) | - | 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月22日 | ロンドン海軍軍縮条約調印 | 社会一般 | |
4月 | ウール・ウオースを大阪工場に派遣 | 当社 | |
10月2日 | 大豊作の発表で米価大暴落、昭和恐慌深刻化 | 社会一般 | |
- | 革具工場でストライキ起こる | 当社 | |
- | アメリカ人技師マクドナルド招聘、バンドナイフ技術指導 | 当社 | |
昭和6年(1931) | - | 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。11月11日永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
9月18日 | 満州事変勃発、15年戦争に突入 | 社会一般 | |
10月 | 北海道製渋所を廃止登記 | 当社 |