(株)ニッピ『ニッピ110年史』(2017.09)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正13年(1924) - 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 渋沢関係略年譜
10月 軍備縮小により軍需革の注文減少 当社
10月 大倉喜八郎が会長を退任、伊藤琢磨専務が会長に就任 当社
大正14年(1925) - 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 渋沢関係略年譜
3月29日 普通選挙法成立 社会一般
6月 上海での騒乱により上海工場3カ月間休業 当社
大正15年(1926) - 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 渋沢関係略年譜
2月1日 ドイツ人技師エミール・ハッセ招聘、2年間ボックス研究 当社
4月24日 独ソ友好中立条約調印 社会一般
1926年 - 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 渋沢関係略年譜
12月25日 大正天皇崩御、「昭和」に改元 社会一般
- 由良商店、甲革類の販売代理店となる 当社
昭和2年(1927) - 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 渋沢関係略年譜
12月30日 日本初の地下鉄開通(上野―浅草間) 社会一般
- 1925年より価格を連続値下げ 当社
昭和4年(1929) - 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 渋沢関係略年譜
10月24日 ニューヨーク株式市場が大暴落、世界恐慌始まる 社会一般
- アメリカ人技師トムソン招聘、色革研究 当社
- アメリカのカルマン社技師ウール・ウオース招聘、底革改良 当社
昭和5年(1930) - 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 渋沢関係略年譜
4月22日 ロンドン海軍軍縮条約調印 社会一般
4月 ウール・ウオースを大阪工場に派遣 当社
10月2日 大豊作の発表で米価大暴落、昭和恐慌深刻化 社会一般
- 革具工場でストライキ起こる 当社
- アメリカ人技師マクドナルド招聘、バンドナイフ技術指導 当社
昭和6年(1931) - 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。11月11日永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 渋沢関係略年譜
9月18日 満州事変勃発、15年戦争に突入 社会一般
10月 北海道製渋所を廃止登記 当社
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