三木産業(株)『出藍録 : 三木産業小誌』(1955.04)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正7年(1918) - 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 渋沢関係略年譜
1月15日 合資会社江戸川バリウム工業所創立。 参考・関係事項
2月5日 日本染料製造株式会社技師長下村孝太郎辞任、三好久太郎後任として就任。 参考・関係事項
2月10日 旧藩主蜂須賀茂韶歿、年七十三。 参考・関係事項
4月1日 三木与吉郎(第十二世) 犬伏字之吉 三宅弥平 堺岩五郎 三木頼治・宮崎正造 古川槇太郎 桜井竜之助が発起人となり、三木与吉郎商店の営業一切を継承して左の通り株式会社三木商店を創立した、これが三木産業株式会社の前身である。//本店 東京市日本橋区本材木町二丁目十七番地。//支店 大阪市西区北堀江通五丁目七番地。//目的//一、藍及其他の染料、化学製品及其材料、米穀、洋蝋、諸油脂、雑貨類の直輸出入、販売及問屋営業並其仲介。//二、前項諸事業に対する投資。//資本金 壱百万円。//役員 取締役社長三木与吉郎(―昭和十三・六・二十三) 常務取締役犬伏字之吉(―昭和五・六・三十) 同三宅弥平(―昭和十五・二・九) 取締役堺岩五郎(大正九・十二・三十) 監査役三木頼治(―昭和十五・十二・三)。
6月10日 貴族院議員選挙が行はれ取締役社長三木与吉郎(第十二世)は同議員に当選した。
6月15日 株式会社大阪染料倶楽部創立総会、取締役会長山田市治郎。 参考・関係事項
7月5日 臨時株主総会を開き定款第三条即ち会社の営業目的を左の通り変更した。//一、藍及其他の染料、化学製品及其材料、米穀、肥料、洋蝋、諸油脂、雑貨類の直輸出入、販売及問屋業並其仲介。//二、前項諸事業に対する投資。
7月22日 東京府知事より肥料売買営業、輸入及移入営業の件免許せられた。
7月 此月、店員小林安之助、古川槇太郎は印度視察旅行に出発。
7月 阿波藍製造同業組合、製藍改良法を農学博士鈴木梅太郎に委嘱。 参考・関係事項
8月12日 西比利亜出兵、此日司令官大谷喜久蔵ら出発。 参考・関係事項
8月14日 肥料営業所増設の件が東京府知事より免許せられた。
8月 此月、米価暴騰して冨山県下に暴動起り、尋で関西各都市に波及。 参考・関係事項
9月29日 原敬内閣成立、初めての純政党内閣(―十・十一・四) 参考・関係事項
10月18日 (および19日)第一回全国硫化染料製造業者大会を広島県府中町に開催。十一月三・四日第二回を開き全国硫化染料製造同盟会が成立した。 参考・関係事項
11月6日 独逸に革命起り、十一日に休戦条約に調印。 参考・関係事項
11月12日 大阪絵具染料同業組合設置発起申請。 参考・関係事項
11月26日 国産染料の輸出が解禁された。 参考・関係事項
11月 下旬より十二月中旬に渉り染料業者に整理発表者続出し業界恐慌を来した。 参考・関係事項
12月1日 波多好文入店。
PAGE TOP