兼松(株)『兼松六十年の歩み』(1955.04)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治21年(1888) - 【渋沢栄一】札幌麦酒会社創立・発起人総代(後に札幌麦酒株式会社取締役会長)。品川硝子会社設立、相談役。東京女学館開校・会計監督(後に館長)。兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)の新邸に転居。〔48歳〕【竜門社】出版条例の改正により『竜門雑誌』1号を改めて発行する。第1回秋季総集会を曖依村荘にて開催する。 渋沢関係略年譜
6月 第1次渡豪から帰つた。(p.12,15) 兼松房治郎氏
- 大阪日報を大阪毎日新聞と改題し、頽勢挽回のため直接経営に乗り出した。(p.12) 兼松房治郎氏
明治22年(1889) - 【渋沢栄一】石川島造船所創立・委員(後に株式会社東京石川島造船所取締役会長)。門司築港会社創立・相談役。田川採炭株式会社創立・相談役。三重紡績株式会社相談役。北海道炭礦鉄道会社常議員〔49歳〕 渋沢関係略年譜
8月15日 兼松商店創立 神戸市栄町五丁目に「豪州貿易兼松房治郎商店」を開業した。(p.17,26) 兼松房治郎氏
- 大阪毎日新聞を本山彦一氏に譲つた。(p.13) 兼松房治郎氏
明治23年(1890) - 【渋沢栄一】貴族院議員に任ぜられる。三本木渋沢農場開墾開始。〔50歳〕 渋沢関係略年譜
1月 第2次渡豪。(p.19,27,38) 兼松房治郎氏
4月 シドニー支店を開設した。(p.19,28) 兼松房治郎氏
- 日豪直輸出入を開始し、羊毛などの第1回輸入を行つた。(p.19,28) 兼松房治郎氏
明治24年(1891) - 【渋沢栄一】日本製帽会社相談役。東京交換所創立・委員長。東京商業会議所会頭。〔51歳〕 渋沢関係略年譜
- 第3次渡豪。(p.28,52) 兼松房治郎氏
明治25年(1892) - 【渋沢栄一】株式会社東京貯蓄銀行創立・取締役(後に取締役会長)。元日本製帽を買収し東京帽子株式会社設立・取締役会長。〔52歳〕 渋沢関係略年譜
- 第4次渡豪。(p.31) 兼松房治郎氏
明治26年(1893) - 【渋沢栄一】喜賓会創立・幹事長。東京人造肥料株式会社取締役会長。株式会社東京石川島造船所取締役会長。王子製紙株式会社取締役会長。帝国ホテル株式会社取締役会長。 渋沢関係略年譜
- 豪州の恐慌 辛くも危機を脱し得た。(p.19,30) 兼松房治郎氏
明治28年(1895) - 【渋沢栄一】東京統計協会終身会員。北越鉄道株式会社創業総会・監査役(後に相談役)。〔55歳〕 渋沢関係略年譜
- 第5次渡豪。(p.38) 兼松房治郎氏
- 神戸港築港運動を起し爾来十年余奔走した。(p.20,49) 兼松房治郎氏
- 百松園 居を神戸市山本通4丁目111番屋敷に定め、やがてこれを「百松園」と名づけた。(p.22) 兼松房治郎氏
明治29年(1896) - 【渋沢栄一】日本精糖株式会社創立・取締役。東京興信所創立、評議員。東京銀行集会所会長。東京印刷株式会社設立・相談役。東洋汽船株式会社創業、監査役。東京建物株式会社創立発起人。第一国立銀行が営業満期により株式会社第一銀行となる。引続き頭取。汽車製造合資会社設立・創立委員(後に監査役)。北越石油株式会社創業・相談役。日本勧業銀行設立委員。〔56歳〕【渋沢敬三】父・渋沢篤二、母・敦子の長男として都内深川に生まる。 渋沢関係略年譜
- 羊毛輸入関税の撤廃を当局に建議し、その実現を見た。(p.20,49) 兼松房治郎氏
明治31年(1898) - 【渋沢栄一】浅野セメント合資会社監査役。韓国視察、韓国皇帝に謁見。王子製紙株式会社取締役会長を辞す(後に相談役)。〔58歳〕 渋沢関係略年譜
- 第6次渡豪。(p.38,50) 兼松房治郎氏
- 肥料輸入関税の撒廃を建議し奏効した。(p.20,49) 兼松房治郎氏
明治32年(1899) - 【渋沢栄一】衆議院議員選挙法改正規制同盟会会長。福田会名誉顧問。大蔵省より株式会社北海道拓殖銀行設立委員に任命。京仁鉄道合資会社設立、取締役社長。銀行倶楽部委員。飛鳥山邸(曖依村荘)に茶室・無心庵竣工。 〔59歳〕 渋沢関係略年譜
11月 声明「一家の相続と事業継承との分離」「従務員へ持分分与の方針」に関し店員に声明した。(p.20,41) 兼松房治郎氏
明治33年(1900) - 【渋沢栄一】京釜鉄道株式会社創立委員長。日本興業銀行設立委員(後に監査役)。男爵を授けられる。黒須銀行相談役。〔60歳〕【竜門社】青淵先生の還暦祝賀として『青淵先生六十年史 一名近世実業発達史』を刊行、青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
- 健康を害し、終年静養した。(p.21,45,66) 兼松房治郎氏
明治34年(1901) - 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 渋沢関係略年譜
- 国内の大恐慌 打撃甚大、辛うじて活路を得た。(p.19,45) 兼松房治郎氏
- 前年来対清貿易に着手、当年秋北清を視察した。(p.42,43) 兼松房治郎氏
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