※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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天保3年(1832) | 12月8日 | 6代伊藤長兵衛、滋賀県犬上郡豊郷村字八目に5代長兵衛の長男として出生 幼名 万治郎 | 当社関係(長兵衛) |
- | 天保の大飢饉始まる | 一般事項 | |
天保13年(1842) | 7月2日 | 初代伊藤忠兵衛、同地[滋賀県犬上郡豊郷村字八目]において5代長兵衛の次男として出生 幼名 栄吉 | 当社関係(忠兵衛) |
7月24日 | 清国、香港を英国に割譲(南京条約) | 一般事項 | |
嘉永6年(1853) | - | 【渋沢栄一】家業の畑作、養蚕、藍葉の買入、藍玉製造販売に精励。〔13歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月3日 | ペルリ艦隊浦賀に来航 | 一般事項 | |
- | 栄吉、兄万治郎に従い近村へ行商 時に12才 | 当社関係(忠兵衛) | |
安政5年(1858) | - | 【渋沢栄一】従妹尾高千代(ちよ、尾高惇忠の妹)と結婚。〔18歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 大坂木綿商仲間規約制定 | 一般事項 | |
5月 | 忠兵衛17才の時、家業から独立し叔父成宮武兵衛の指導で、伏見・大坂を経て泉州・紀州まで初めて麻布の持下りを行なう 純益7両、この年を当社創業の年とする | 当社関係(忠兵衛) | |
6月19日 | 日米修好通商条約・貿易章程調印(つづいて蘭・露・英・仏と調印) | 一般事項 | |
10月 | 安政の大獄 | 一般事項 | |
10月 | 福沢諭吉、蘭学塾を開く(慶応義塾の前身) | 一般事項 | |
安政6年(1859) | 1月13日 | 幕府、長崎・箱館・神奈川開港につき、同地へ出稼ぎ・移住・自由売買の許可布告 | 一般事項 |
5月28日 | 幕府、6月より上記3港[長崎・箱館・神奈川]で露・英・仏・蘭・米5カ国との自由貿易の許可布告 | 一般事項 | |
5月 | 成宮武兵衛に従って、岡山・広島・馬関(下関)を経て長崎まで、麻布・美濃縞・美濃結城などを持ち下る 純益30両 | 当社関係(忠兵衛) | |
万延元年(1860) | 3月3日 | 井伊大老、桜田門外で暗殺 | 一般事項 |
3月19日 | 五品(雑穀・水油・ろう・呉服・生糸)江戸廻送令布告 | 一般事項 | |
5月 | 独力で麻布800反を仕入れ、売子2人をつれて長崎へ持ち下る | 当社関係(忠兵衛) | |
9月 | 卸売経験のため麻布のほか美濃縞・美濃結城を大量に仕入れ、豊前・筑前に持ち下る以来春秋年2回の持下りを例とする | 当社関係(忠兵衛) | |
9月 | 新規の持下り業者を結集して“小倉会議”という講を結成 | 当社関係(忠兵衛) | |
文久元年(1861) | - | 【渋沢栄一】春、江戸に出て、海保漁村塾・千葉栄次郎道場に学ぶ。〔21歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月3日 | 米国で南北戦争始まる | 一般事項 |