三井『三井事業史. 本篇 第2巻』(1980.09)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治16年(1883) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 渋沢関係略年譜
6月24日 三井銀行、大蔵省為替方を解任され、以後日銀代理店として国庫金出納事務を取り扱う
明治17年(1884) - 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 渋沢関係略年譜
2月18日 京都の大元方寄合復活
明治18年(1885) - 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 渋沢関係略年譜
3月6日 三井高福八男高棟、第一五代八郎右衛門を襲名
7月4日 三井組大元方、銀行創立のための三井銀行借入金の償却を完了
12月20日 三井高福没(七八歳)
12月28日 三井銀行、大蔵大臣松方正義の斡旋により東本願寺の財務改革に着手
明治19年(1886) - 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 渋沢関係略年譜
4月8日 三井銀行、本店に債務課・金庫課を設置し、起業公債係を廃止
4月18日 三井高朗・高棟ら、大元方臨時寄合を開催して大元方制度改革案を審議
7月 三井家同苗、「同苗一致決心誓約書」に調印
9月 三井銀行、「神岡鉱山特則」制定
11月24日 三越得右衛門、株式会社東京綿商社の設立に参加、社長に就任(明治二一年八月六日鐘淵紡績会社と改称)
- 三井物産会社、イギリスプラット社と紡績機の代理店契約を締結
明治20年(1887) - 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・理事(後に日本煉瓦製造株式会社取締役会長)。東京ホテル創立・理事長(後に帝国ホテル株式会社取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 渋沢関係略年譜
3月5日 三井高保、益田孝とともに約八か月間欧米の実業界視察に出発
5月12日 三越得右衛門、新町紡績所を払下
6月 三井物産会社、茂住採鉱社名義で飛騨茂住鉱山を買収
明治21年(1888) - 【渋沢栄一】札幌麦酒会社創立・発起人総代(後に札幌麦酒株式会社取締役会長)。品川硝子会社設立、相談役。東京女学館開校・会計監督(後に館長)。兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)の新邸に転居。〔48歳〕【竜門社】出版条例の改正により『竜門雑誌』1号を改めて発行する。第1回秋季総集会を曖依村荘にて開催する。 渋沢関係略年譜
8月18日 三井組、官営三池鉱山を佐々木八郎名義で落札(翌二二年一月三日引渡し完了)
明治22年(1889) - 【渋沢栄一】石川島造船所創立・委員(後に株式会社東京石川島造船所取締役会長)。門司築港会社創立・相談役。田川採炭株式会社創立・相談役。三重紡績株式会社相談役。北海道炭礦鉄道会社常議員〔49歳〕 渋沢関係略年譜
1月4日 三池鉱山、三池炭礦社の名義をもって営業開始
5月12日 鐘淵紡績株式会社、三万錘をもって操業開始(八月一日開業式)
5月 三池紡績会社創立
7月28日 九州地方大地震により、三池炭礦勝立坑水没
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