※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正7年(1918) | - | 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 外国間貿易、前年の二倍に伸び、商内別構成比で首位を占める | 三井物産関係 | |
- | 会社の新設・増資きわめてさかん。貿易収支、大幅黒字 | 関連・一般事項 | |
大正8年(1919) | - | 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 戦後ブーム始まる。銀行の増資さかん | 関連・一般事項 | |
6月 | ベルサイユ講和条約調印 | 関連・一般事項 | |
11月 | 藤瀬常務、未曾有のブームのなかで慎重方針の堅持を指示 | 三井物産関係 | |
大正9年(1920) | - | 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 三井源右衛門、社長を退任。三井養之助、社長に就任 | 三井物産関係 | |
3月 | 戦後恐慌はじまる | 関連・一般事項 | |
4月 | 棉花部を分離し、東洋棉花設立 | 三井物産関係 | |
5月 | 生糸部設置 | 三井物産関係 | |
- | 外国間貿易きわめて活発(商内別構成比三三%) | 三井物産関係 | |
大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
8月 | 三井養之助、社長を退任。三井守之助、社長に就任 | 三井物産関係 | |
- | 会社の減資、解散激増。銀行合同すすむ。貿易収支は入超 | 関連・一般事項 | |
大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 取締役より各店長へ緊縮方針から積極主義への転換を指示 | 三井物産関係 | |
7月 | 小田柿捨次郎、常務取締役を退任 | 三井物産関係 | |
- | 造船業界、海軍軍縮で大打撃 | 関連・一般事項 | |
- | 前年につづき、会社の減資、解散さかん | 関連・一般事項 | |
- | 生糸輸出、量・金額とも最高記録(輸出総額の四〇%を占める) | 関連・一般事項 | |
大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月 | 大震災により横浜支店倒壊。ただし、免災生糸の七二%を当社が保管。大阪支店内に本店臨時本部を設置(10月、東京に引揚げる)。 | 三井物産関係 | |
9月 | 関東大震災起る。9月1日から三〇日間、モラトリアム施行 | 関連・一般事項 | |
- | 石炭輸入高、輸出高を超過。硫安の輸入急増 | 関連・一般事項 |