三菱『三菱の百年』(1970.10)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治3年(1870) - 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 渋沢関係略年譜
10月 土佐藩は藩のお手先商法である大阪商会を藩より分離し、汽船運輸業を始めることになり、土佐開成商社の設立を企図したが、翌月(閏10月)九十九商会の名称で官許を得た。これが監督に当ったのは、土佐藩少参事岩崎弥太郎である。三菱会社の淵源はこれに求めることができる。 重要事項
明治4年(1871) - 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 渋沢関係略年譜
7月 廃藩置県施行せられ土佐藩は廃絶し、同年11月高知県となる。これにより藩職を失った岩崎弥太郎は同志を率いて独立し、九十九商会の経営に専念する。 重要事項
明治5年(1872) - 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 渋沢関係略年譜
1月 九十九商会を三川商会と改称。 重要事項
明治6年(1873) - 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 渋沢関係略年譜
3月 三川商会を三菱商会と改称。 重要事項
12月 岡山県の吉岡銅山を買収経営(金属鉱山経営の始め) 重要事項
明治7年(1874) - 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 渋沢関係略年譜
4月 商会の本拠を東京に移し、大阪を支社に改め、社名を三菱蒸汽船会社と改める。 重要事項
7月 台湾の役の軍事輸送を受命、完遂する。 重要事項
明治8年(1875) - 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 渋沢関係略年譜
2月 上海定期航路を開く(本邦外国定期航路開設の始め) 重要事項
5月 始めて会社規則を作り、会社の機構、職制を定める。 重要事項
9月 政府の海運助成政策により、補助と管理をうける。これにより政府所有船舶13隻及び助成金を下附せらる。次いで政府の保護する日本国郵便蒸汽船会社を解散して、その船舶17隻を交附され、その人員、施設を三菱に吸収し、社名を郵便汽船三菱会社と改称する。 重要事項
9月 朝鮮江華島事件起り、兵員の輸送を命ぜられる。 重要事項
10月 米国Pacific Mail Steam Ship Companyと上海航路の貨客を争う、同社の船舶を買収し、その日清間航路を撤収せしめる。 重要事項
12月 上海のBoyd商会と折半出資にて横浜に船舶修理工場たる三菱製鉄所を開く(外国資本と提携の始めである。同製鉄所は明治12年2月、全部が三菱の所有となる) 重要事項
明治9年(1876) - 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 渋沢関係略年譜
1月 三菱商船学校を設立(東京商船大学の前身。明治15年4月同校を政府に上納す) 重要事項
8月 英国Peninsular and Oriental Steam Navigation Companyの日清間航路進出に会し、これと競争の結果、これを沿岸航路より駆逐する。 重要事項
10月 前原一誠等の萩の乱起り、兵員輸送を命ぜられる。 重要事項
明治10年(1877) - 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 渋沢関係略年譜
2月 西郷隆盛等の西南の役起り、全社船を以て軍事輸送にあたる。 重要事項
明治11年(1878) - 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 渋沢関係略年譜
3月 三菱商業学校を設立(同校は明治17年5月閉鎖) 重要事項
明治12年(1879) - 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 渋沢関係略年譜
7月 東京海上保険会社の設立に参加(三菱は筆頭株主) 重要事項
12月 横浜正金銀行の設立を援助。 重要事項
PAGE TOP