三菱商事(株)『三菱商事社史. 資料編』(1987.06)

"中川亀之助"が書かれている年表項目はハイライトされています。

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月日 事項 年表種別
明治3年(1870) 11月 御手洗商法の禁止令と藩の谷干城の緊縮政策で大阪商会は9月限り藩会計より分離、閏10月18日、九十九商会の名称で営業の官許を得、藩より貸与された紅葉賀・夕顔・鶴の3隻と新たに購入したオリッサ号(快順丸)を以て、東京―大阪―高知間航路を開き飛脚船を開業 この時船旗として三角菱を採用、代表者は土居市太郎と中川亀之助、弥太郎は藩の役人として監督の任に当たる 高知
明治5年(1872) 1月 高知県は前年11月発足したが、 旧藩と県との整理に時間を要したので夕顔・鶴2隻の払下を受け、九十九商会が三川商会と改称して新発足したのは1月であった。三川商会は川田小一郎、石川七財、中川亀之助による組合結社で、弥太郎は船舶や兵器の購入、土佐物産の外国商人への販売、資金の導入及び他藩よりの委託売買に専念す 高知
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