安田保善社『安田保善社とその関係事業史』(1974.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
天保9年(1838) 10月9日 東京初代安田善次郎富山の町はずれ鍋屋小路に生まれ岩次郎と名付く 創立以前//初代 安田善次郎関係事項
安政4年(1857) - 郷里を出奔し、日本橋四日市町の海苔鰹節商丸屋松兵衛方に奉公し、名を忠兵衛と改む 創立以前//初代 安田善次郎関係事項
安政5年(1858) - 【渋沢栄一】従妹尾高千代(ちよ、尾高惇忠の妹)と結婚。〔18歳〕 渋沢関係略年譜
- 父善悦の許可を得て再び江戸に上り玩具商に奉公す 創立以前//初代 安田善次郎関係事項
万延元年(1860) - 日本橋小舟町の鰹節兼両替商「広林」《ヒロリン》こと広田屋林三郎方に奉公す 創立以前//初代 安田善次郎関係事項
文久3年(1863) - 【渋沢栄一】高崎城乗っ取り、横浜焼き討ちを企てるが、計画を中止し京都に出奔。〔23歳〕 渋沢関係略年譜
12月1日 日本橋葺屋町裏通り楽屋新道に借宅して独立し、小舟町で露店の小銭両替を営む 創立以前//初代 安田善次郎関係事項
元治元年(1864) - 【渋沢栄一】一橋家に仕える。篤太夫と改名。〔24歳〕 渋沢関係略年譜
3月2日 日本橋人形町通りに海苔鰹節砂糖兼両替店を開業し「安田屋」と称し、善次郎と改名す 創立以前//初代 安田善次郎関係事項
11月 藤田弥兵衛四女ぬをと結婚す 創立以前//初代 安田善次郎関係事項
慶応元年(1865) - 【渋沢栄一】一橋家歩兵取立御用掛を命ぜられ領内を巡廻。〔25歳〕 渋沢関係略年譜
- 両替町組の肝煎《キモイリ》(幹事)に選任さる 創立以前//初代 安田善次郎関係事項
慶応2年(1866) - 【渋沢栄一】徳川慶喜、徳川宗家を相続(後に征夷大将軍)し、栄一は幕臣となる。〔26歳〕 渋沢関係略年譜
4月14日 日本橋小舟町三丁目一〇番地に移転「安田商店」と改称、両替を専業とす 創立以前//初代 安田善次郎関係事項
慶応3年(1867) - 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 渋沢関係略年譜
11月9日 (陰暦10月14日)徳川慶喜将軍大政を奉還す 創立以前//一般事項
- 幕府より古金銀収集取扱い方を一手に引受く 創立以前//初代 安田善次郎関係事項
慶応4年(1868) - 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 渋沢関係略年譜
6月9日 (陰暦閏4月19日)金札発行を布告し、七月四日(五月一五日)金札五種を発行す 創立以前//一般事項
明治元年(1868) - 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 渋沢関係略年譜
10月23日 (陰暦9月8日)「明治」と改元 創立以前//一般事項
12月 金札(太政官札)発行に際し流通に協力す 創立以前//初代 安田善次郎関係事項
明治2年(1869) - 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 渋沢関係略年譜
4月3日 (陰暦2月22日)「通商司」の設置布告さる 創立以前//一般事項
4月 「正金金札等価通用」の布告による保有金札の差益によって利益を得る 創立以前//初代 安田善次郎関係事項
5月 本月以降、東京ほか七都市に通商会社、為替会社設置さる 創立以前//一般事項
10月12日 質商を兼営す 創立以前//初代 安田善次郎関係事項
- 東京・横浜間に電信開通さる 創立以前//一般事項
明治3年(1870) - 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 渋沢関係略年譜
- 銀座三丁目で油店(藤田善四郎名義)を兼営す 創立以前//初代 安田善次郎関係事項
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