※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和18年(1943) | - | 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 独軍の敗退はじまる | 社会情勢 | |
- | イタリア降伏 | 社会情勢 | |
- | 蒋介石国民政府首席就任 | 社会情勢 | |
昭和19年(1944) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 山川隆雄徴兵中国北部へ派遣 | ユサコの歩み | |
- | パリ解放 | 社会情勢 | |
- | B29の本土空襲 | 社会情勢 | |
昭和20年(1945) | - | 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 広島・長崎に原爆投下 | 社会情勢 | |
- | ポツダム宣言受諾 | 社会情勢 | |
- | 無条件降伏 | 社会情勢 | |
昭和21年(1946) | - | 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 山川隆雄復員 | ユサコの歩み | |
- | 新橋タイプ社設立 | ユサコの歩み | |
- | Mr. Sandy H. Hartmanと再会 | ユサコの歩み | |
- | 輸出事業を開始 | ユサコの歩み | |
- | 東京都港区新橋1-5-14堤第一ビル | 事務所・設備 | |
- | GHQ宛英文タイプ印刷/文書、英文翻訳 | 契約及び市場状況 | |
- | タイプ学校を開始 | 契約及び市場状況 | |
- | タイプ盗難にあう | 契約及び市場状況 | |
- | 東京裁判 | 社会情勢 | |
- | 六・三・三制新教育体系発表 | 社会情勢 | |
昭和22年(1947) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』670号を復刊する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 教育基本法を公布 | 社会情勢 |