※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治36年(1903) | - | 【渋沢栄一】東宮御慶事奉祝会副会長・会計監督。インフルエンザ罹患、喘息を併発。京釜鉄道株式会社理事。日印協会創立・会員(後に会頭)。〔63歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
12月 | ライト兄弟、初飛行に成功 | 一般事項 | |
- | このころ、売出し中の来店顧客に紅白の和合餅贈呈 | 当社事項 | |
明治37年(1904) | - | 【渋沢栄一】風邪をこじらせ長期に静養。韓国興業株式会社設立、監督。〔64歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月10日 | 日露戦争勃発 | 一般事項 | |
3月18日 | 東京市街鉄道、浅草まで全通し馬車鉄道なくなる | 一般事項 | |
8月21日 | 甲武鉄道、飯田町~中野間運転開始(後の中央線、12.31御茶ノ水まで延長) | 一般事項 | |
9月 | 〔そごう〕大阪店、地方出張販売開始 | 業界事項 | |
12月6日 | 〔三越〕(株)三越呉服店設立。日比翁助、デパートメントストア宣言、日本初の百貨店として登場 | 業界事項 | |
- | 陸軍恤兵部に150万枚のハンカチーフを納入 | 当社事項 | |
- | 京市内を9区に分割し、外売りを地区ごとに再編成 | 当社事項 | |
- | 〔白木屋〕通信販売開始 | 業界事項 | |
- | 婦人髪型「二〇三高知」流行 | 一般事項 | |
明治38年(1905) | - | 【渋沢栄一】韓国皇帝より勲一等太極章。移転した養育院感化部井之頭学校と改称、開校式。徳川慶喜・伊藤博文らを飛鳥山邸(曖依村荘)に招待、茶室・無心庵にて午餐会。〔65歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月10日 | 旅順開城記念景品付呉服券第1回売出し(~1.25) | 当社事項 | |
5月 | 〔三越〕元禄模様を売り出し「明治元禄ブーム」をつくる | 業界事項 | |
7月 | 〔三越〕「流行会」発足、服飾等の研究を目的とする | 業界事項 | |
9月5日 | ポーツマス条約調印 | 一般事項 | |
10月 | 〔白木屋〕初の出張販売開始 | 業界事項 | |
- | 東京府西多摩郡氷川村で植林事業を興す | 当社事項 | |
- | 春、遠藤波津子、京橋に理容館(美容院)を創業 | 一般事項 | |
明治39年(1906) | - | 【渋沢栄一】大日本麦酒株式会社設立、取締役。南満州鉄道株式会社設立委員。京阪電気鉄道会社創立・創立委員長(後に相談役)。大日本製糖株式会社設立、相談役。名古屋電力株式会社創立・相談役。東海倉庫株式会社創立・相談役。明治製糖創立・相談役。〔66歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月31日 | 鉄道国有法公布 | 一般事項 | |
5月 | 宮内省、植物御苑を新宿御苑と改称 | 一般事項 |