※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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元治元年(1864) | - | 【渋沢栄一】一橋家に仕える。篤太夫と改名。〔24歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | この年江戸、大阪、名古屋の三店とも売上高低下 | 大丸 | |
慶応元年(1865) | - | 【渋沢栄一】一橋家歩兵取立御用掛を命ぜられ領内を巡廻。〔25歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 第八代正涛隠居、長子正弘、第九代を継ぐ | 大丸 | |
- | 第二次長州征伐御用金に江戸店五千両(五月)本店一万両(十一月)割当 | 大丸 | |
慶応2年(1866) | - | 【渋沢栄一】徳川慶喜、徳川宗家を相続(後に征夷大将軍)し、栄一は幕臣となる。〔26歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 長州征伐御用金、大阪両替店請高百八十七貫 | 大丸 | |
- | 前年よりの長州再征、幕府敗戦に終わる | 国の内外 | |
慶応3年(1867) | - | 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
12月 | 王政復古 | 国の内外 | |
慶応4年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 政府会計基立金、京都本店一万両、大阪両替店三千両納金 | 大丸 | |
4月 | 勧商政策機関に会計官の下部組織として商法司設立 | 国の内外 | |
7月 | 江戸を東京と改称 | 国の内外 | |
12月 | 新政府金穀出納所へ京都本店及び両替店より千両献金天皇親征用途として京都本店一万両献納 | 大丸 | |
- | 第九代正弘隠居し、伏見家正堂第十代を継ぐ | 大丸 | |
- | 正堂、商法司元締となる | 大丸 | |
- | 江戸に生糸蚕種紙改所(後の国立蚕種検査所)開設 | 国の内外 | |
明治2年(1869) | - | 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 東京遷都 | 国の内外 | |
8月 | 大阪為替、通商会社設置 | 国の内外 | |
11月 | 総本店復興工事完成 | 大丸 | |
- | 正堂、東京為替会社総頭取となる | 大丸 | |
- | 西京為替、通商両会社設立、正堂は総頭取、大文字屋庄兵衛(京都両替店)下村熊蔵(絹店)は頭取置となる | 大丸 | |
明治3年(1870) | - | 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 東京横浜間、阪神間電信線開通 | 国の内外 | |
明治4年(1871) | - | 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 一両を一円と改称 | 国の内外 |