西川産業(株)『西川400年史』(1966.03)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
寛文7年(1667) - この年より勘定書保存せらる(二九九年前) 西川家事蹟
延宝元年(1673) - 越後屋(三越)開店す 社会
元禄元年(1688) - [元禄]この頃友禅染発明さる 社会
元禄15年(1702) - 浅野の遺臣主君の仇を討つ 社会
享保2年(1717) - 大岡越前守江戸町奉行となる 社会
寛保元年(1741) - 江戸日本橋に〓[□+万](カクマンミセ)を開設(二二五年前) 西川家事蹟
延享3年(1746) - 徳川家御用弓師となり常時一万挺の準備を命ぜらる 西川家事蹟
寛延3年(1750) - 京都寺町松原に京都店を開設(二一六年前) 西川家事蹟
- 百姓一揆盛んに起る 社会
安永6年(1777) - 老中田沼意次父子専横極む 社会
天明7年(1787) - 松平定信老中に任ぜらる 社会
寛政11年(1799) - 西川家々憲を制定す(一六七年前) 西川家事蹟
文化3年(1806) - 江戸大火十七万戸焼失 社会
天保4年(1833) - 九代目西川甚五郎は徳川幕府御用弓師となり、帯刀を許さる(一三三年前) 西川家事蹟
- 江戸大火 社会
嘉永6年(1853) - 【渋沢栄一】家業の畑作、養蚕、藍葉の買入、藍玉製造販売に精励。〔13歳〕 渋沢関係略年譜
6月 米使ペルリ浦賀に来る 社会
安政6年(1859) - 安政の大獄 社会
慶応3年(1867) - 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 渋沢関係略年譜
- 徳川慶喜大政を奉還す 社会
明治元年(1868) - 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 渋沢関係略年譜
- 江戸を東京と改む 社会
明治9年(1876) - 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 渋沢関係略年譜
- 大阪市東区本町に支店開設(九〇年前) 西川家事蹟
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