※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
昭和18年(1943) | - | 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 帝国銀行発足 | 一般社会の動向 | |
昭和19年(1944) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 | 渋沢関係略年譜 |
8月 | 長女・幸代誕生 | はせがわグループの出来事 | |
10月 | フィリピン沖海戦で連合艦隊事実上消滅 | 一般社会の動向 | |
昭和21年(1946) | - | 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 | 渋沢関係略年譜 |
8月 | 経済団体連合会(経団連)創設 | 一般社会の動向 | |
11月 | 次男・房生誕生 | はせがわグループの出来事 | |
昭和29年(1954) | - | 【竜門社】渋沢栄一伝記資料刊行会を組織し、『渋沢栄一伝記資料』全58巻の編集を開始する。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 第5福竜丸がビキニ環礁の米水爆実験で被ばく | 一般社会の動向 | |
6月 | 店舗を新築移転、2階裏を工場とする(古町工場) | はせがわグループの出来事 | |
6月 | 仏壇の自家製造を開始 | はせがわグループの出来事 | |
6月 | 壁張り広告を始める | はせがわグループの出来事 | |
11月 | 法隆寺金堂の昭和大修理が20年ぶりに完成 | 一般社会の動向 | |
- | 電気洗濯機、冷蔵庫、掃除機(のち白黒テレビ)が新しい生活の象徴として「三種の神器」と呼ばれる | 一般社会の動向 | |
昭和31年(1956) | - | 【竜門社】創立70周年記念総会を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 直方市明神町に鹿田栄吉の住宅兼仕事場として、一軒家を借り、明神工場とする | はせがわグループの出来事 | |
3月 | 小型トラックを購入、九州の仏壇店では初のトラックによる宅配を始める | はせがわグループの出来事 | |
7月 | 経済企画庁「もはや戦後ではない...」の経済白書を発表 | 一般社会の動向 | |
12月 | 日本が国連加盟 | 一般社会の動向 | |
昭和33年(1958) | - | 【渋沢敬三】角川書店より『南米通信 : アマゾン・アンデス・テラローシャ』刊行。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 関門トンネル開通記念博覧会に仏壇を出品、高松宮より賞状を受ける | はせがわグループの出来事 | |
12月 | 神戸三宮に「主婦の店ダイエー」開店 | 一般社会の動向 | |
昭和34年(1959) | - | 【渋沢敬三】日本学術振興会より『明治前日本漁業技術史』刊行。角川書店より『日本魚名の研究』刊行。 | 渋沢関係略年譜 |
9月 | 鹿田栄吉の山部町への引っ越しに合わせて、同地を山部工場とする | はせがわグループの出来事 | |
- | 「岩戸景気」始まる(~1960年下期) | 一般社会の動向 | |
昭和35年(1960) | - | 【渋沢敬三】熊本大学における第15回日本人類学会・日本民族学協会連合大会に出席して発病、東京大学医学部附属病院に入院、療養。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 古町工場を増改築、拡充 | はせがわグループの出来事 |