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(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
| 年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
|---|---|---|---|
| 大正9年(1920) | - | 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
| - | この年春頃より町田糸店で手編毛糸を扱うことになった。五月頃の店員として大川直久、瓜生久吉、関徳蔵、藤掛金吾、広部土松、爪生吟次郎、渡辺綱、向田善作、岡本繁治、前田良太郎、堀越重二、石井英祐、中村勇吉、槇島彦太郎、その外の名あり。 | 町田百年略史 | |
| 大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
| - | 神奈川県松田町に個人経営の東京人造絹糸製造所を作り、人絹糸の製造に着手した。技師大竹勇二、山田右京、米田某及びドイツより招きたるドイツ人技師等で、機械もドイツより買入れたものである。 | 町田百年略史 | |
| 大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
| - | ワシントン軍縮会議 | 社会事情 | |
| 大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
| 9月1日 | 午前十一時五十八分に発生した大地震と大火災により東京市を始め湘南地方一帯の被害多大であった。 | 社会事情 | |
| 11月 | 五男勉生まる。 | 町田百年略史 | |
| - | 二代(五十七才)関東大震火災のため厩橋の店舗は全焼、松田町の人絹製造所は山津波で埋没、鎌倉七里ケ浜に避暑中の妻子のうち三・四男は圧死す。又支配人大川直久は被服廠に避難中行方不明。このような悲惨事にも負けることなく再建に専念した。//青年時代からの禅の修養が役に立った。 | 町田百年略史 | |
| 大正13年(1924) | - | 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 | 渋沢関係略年譜 |
| - | 二代(五十八才)新たに人絹糸工場の適地を考えた末、水の便のよい静岡県富士郡吉原町に建設しようと決めた。 | 町田百年略史 | |
| 大正14年(1925) | - | 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 | 渋沢関係略年譜 |
| 11月 | 二代徳之助(六十才)東京人造絹糸吉原工場が竣工した。 | 町田百年略史 | |
| 大正15年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
| 1月 | 一月東洋レーヨン、三月日本レーヨンが設立された。 | 社会事情 | |
| 4月 | 資本金一千万円にて東京人造絹糸株式会社を創立す。本社を厩橋の町田糸店内に置き、徳之助が社長に就任した。常務に次弟藤掛与左エ門、取締役に義弟町田徳蔵、渡辺定二、監査役には甥若林亀之助が夫々就任した。 | 町田百年略史 | |
| 昭和元年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
| - | 昭和と改元された。 | 社会事情 | |
| 昭和2年(1927) | - | 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
| 3月 | 片岡蔵相の失言により渡辺銀行が破綻し、引続き市中銀行の休業続出、パニック状態になった。 | 社会事情 | |
| 4月 | モラトリアム緊急勅令が公布され、株式も休場。 | 社会事情 | |
| - | 徳之助(六十二才)は、金融恐慌を心配し、頭取であった東京貯蔵銀行に預金者が集った際、敢然演説を試み、銀行のピンチを救う。 | 町田百年略史 | |
| 昭和3年(1928) | - | 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
| 11月 | 徳之助(六十三才)書道の師樋口竹香翁の為、鎌倉円覚寺に建碑、又竹香遺稿を作る。 | 町田百年略史 | |
| - | 徳之助長女利子(昨年死去)永井三郎と結婚、現在町田商事株式会社々長である。 | 町田百年略史 | |
| 昭和4年(1929) | - | 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
| 11月 | 前年より着工中の店舗が落成した。鉄筋、耐震、耐火構造五階建。(延約二八〇坪)一階を販売部とし、二階以上に東京人絹、二徳商会、東京艶糸各社事務所と会議室、住込店員宿泊室等を置いた。//屋上から遠く隅田川一帯を鳥瞰出来た。当時厩橋交叉点附近にはビルは一つもなかった。 | 町田百年略史 | |
| 昭和5年(1930) | - | 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
| 4月 | 天皇陛下静岡県下をご巡行に際し、特に侍従牧野氏を東京人絹吉原工場に差遣された。//五月に同社製品を献上す。 | 町田百年略史 | |
| 昭和6年(1931) | - | 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。11月11日永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
| 4月 | 義弟町田徳蔵死去す。(妹フジ子の夫) | 町田百年略史 | |
| 5月 | 旭化成が設立された。 | 社会事情 |
