(株)ミキモト『輝きの世紀 : 御木本真珠発明100周年記念』(1993.01)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
安政5年(1858) - 【渋沢栄一】従妹尾高千代(ちよ、尾高惇忠の妹)と結婚。〔18歳〕 渋沢関係略年譜
1月25日 志摩国鳥羽町大里(現・三重県鳥羽市鳥羽2丁目)に父音吉・母もとの長男として生まれる。幼名は吉松 主な動向
- 日米修好通商条約調印 文化・社会の動向
- 安政の大獄はじまる 文化・社会の動向
明治8年(1875) - 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 渋沢関係略年譜
- 英軍艦シルバー号の前で足芸を演じ、鶏卵や青物などを売り込む 主な動向
明治10年(1877) - 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 渋沢関係略年譜
- 西南戦争を機に博愛社(後の日本赤十字社)創立 文化・社会の動向
明治11年(1878) - 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 渋沢関係略年譜
2月 家督を相続、御木本幸吉と改名。春、東京・横浜を見学//帰りの道中箱根で人命救助、はじめて新聞に名前が出る 主な動向
- 日本髪の婦人にお高祖頭巾が流行 文化・社会の動向
明治12年(1879) - 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 渋沢関係略年譜
- 明宮嘉仁親王(大正天皇)ご誕生 文化・社会の動向
明治14年(1881) - 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 渋沢関係略年譜
10月 元鳥羽藩士・久米盛造の長女うめ(17歳)と結婚 主な動向
- 大日本水産会設立 文化・社会の動向
明治16年(1883) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 渋沢関係略年譜
- 鹿鳴館開館 文化・社会の動向
明治20年(1887) - 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・理事(後に日本煉瓦製造株式会社取締役会長)。東京ホテル創立・理事長(後に帝国ホテル株式会社取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 渋沢関係略年譜
- 皇后(昭憲皇太后)、婦人洋装奨励のおぼし召書ご下付 文化・社会の動向
明治21年(1888) - 【渋沢栄一】札幌麦酒会社創立・発起人総代(後に札幌麦酒株式会社取締役会長)。品川硝子会社設立、相談役。東京女学館開校・会計監督(後に館長)。兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)の新邸に転居。〔48歳〕【竜門社】出版条例の改正により『竜門雑誌』1号を改めて発行する。第1回秋季総集会を曖依村荘にて開催する。 渋沢関係略年譜
6月 大日本水産会幹事長・柳楢悦に面会 主な動向
8月 柳楢悦幸吉宅を訪問、柳を神明浦に案内 主な動向
9月 神明浦で真珠貝養殖を試みる 主な動向
明治22年(1889) - 【渋沢栄一】石川島造船所創立・委員(後に株式会社東京石川島造船所取締役会長)。門司築港会社創立・相談役。田川採炭株式会社創立・相談役。三重紡績株式会社相談役。北海道炭礦鉄道会社常議員〔49歳〕 渋沢関係略年譜
- 鳥羽湾内の相島の一部を所有する 主な動向
- 大日本帝国憲法発布 文化・社会の動向
明治23年(1890) - 【渋沢栄一】貴族院議員に任ぜられる。三本木渋沢農場開墾開始。〔50歳〕 渋沢関係略年譜
4月 第3回内国勧業博覧会(東京・上野)に天然真珠と生きた真珠貝出品 主な動向
- 柳の紹介で箕作佳吉博士に面会し、真珠の成因と養殖法の説明を受ける 主な動向
- 帝国ホテル開業 文化・社会の動向
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